2015年12月26日土曜日

梅原猛 「黄泉の王 ~私見・高松塚~」

この本もたまたまそこに108円であったので手にとって読み出した。梅原猛 「黄泉の王 ~私見・高松塚~」の新潮文庫版。梅原猛の著作は100円コーナーだとそれほど見かけない。

日本人であれば小学生でも高松塚古墳の壁画の存在は知ってるかと思う。だが、自分は長年歴史を真剣にとらえてなかったために基本的なことを知らないままでいた。高松塚を知るためにもこの本は読んでみたかった。

高松塚古墳は江戸時代には文武陵とされていた時期もあるのだが、今でも被葬者ははっきりしない。まともに対処していい説として、高市皇子説、忍壁皇子説などがある。発見された当時、歴史学者たちも被葬者が誰か?なんて問題に説を唱えることははばかる傾向にあったという。

京都で哲学を研究していた梅原猛は「隠された十字架」「水底の歌」で自信を深めた方法で高松塚の被葬者問題に独自の説を唱えた。ま、大胆な仮説。学術論文としてでなく夢幻能として読めと。

誰も被葬者に言及しない古代史研究家たちの中で、唯一具体的に「忍壁皇子」名前を挙げた直木孝次郎氏に最大限の敬意を払いつつ、その論拠となった被葬者の歯の磨耗具合から年齢を鑑定した「島鑑定」を、参考にしたであろう海外の学術論文まで読み漁った結果、やんわりとその結論を否定。

そして、梅原は被葬者の答えをなんと万葉集から引っ張ってくる。

独裁者・藤原不比等が編纂した記紀では存在感が薄く、万葉集で強い個性を放つ皇子たちに注目。持統朝の死屍累々の暗い側面を隠蔽した記紀よりも、政権とは離れて独自に編纂された万葉集にこそ隠された真実がある…と。

どうやら弓削皇子こそふさわしい。

高松塚が四方を壁画に囲まれた鎮魂の施設であり、被葬者に首が無い、刀身が抜かれて存在しない、玄武の顔がそぎ落とされている…といった状況から、被葬者は高貴な皇子クラスで、天皇から死を賜り、殯期間中に死者の再生を恐れる当時の思想から首を引き抜かれたと結論。高松塚の壁画は不幸な死を遂げた弓削皇子の怨霊を鎮めるための壁画。死者に帝位にあることを錯覚させるため。

万葉集で奔放な恋と性を歌った紀皇女は実は文武帝の皇后で、弓削皇子と密通していたのではないか?!持統天皇の子・忍壁皇子→ 軽皇子という従来の伝統だと無理スジな皇位継承ラインにこだわった女帝と藤原不比等からはじき出された人物たち…という推論。こう考えると話の筋が上手くいく。という、確証はないけど論理に自信のある梅原猛らしい大胆な仮説本。

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