2015年1月22日木曜日

竹内結子 「ワルシャワの秋」(2003)

このDVDを500円で拾ってきた。2003年12月に関西テレビ製作で全国放送された竹内結子主演のテレビドラマのDVD「ワルシャワの秋」(2006年発売)。これ、放送されたときちょっと見たはず。今回、11年?ぶりに見てみたけど、ほとんど内容を覚えていなかった。

このドラマが作品としてどう評価されているのか、まったく知らない。だが、ひとつ言えることは、このドラマがポーランドシベリア孤児という存在を自分に初めて教えてくれたのは確かだ。「ポーランドシベリア孤児」問題を扱ったドラマはこれ以外に見たことない。タイトルは「ワルシャワの秋」でも大正時代の日本が舞台。

第1次大戦後に久しぶりに国土を回復し独立したポーランド。大正時代の日本人の庶民はポーランドと言われても、ほとんどイメージすらできなかった。まだ国交も無い。

シベリアには多くのポーランド人がいた。ロシア革命の混乱と、ポーランド・ソビエト戦争によって多くが難民化。特に親を失った孤児たちは寒さと餓えと伝染病でかなり悲惨なことになっていた。ウラジオストクのポーランド人たちは悲惨な孤児たちを助けようと救済委員会を作って欧米諸国に救助を求めた。

自分は疑問に思った。なぜポーランド孤児を裕福でもない大正日本が保護したのか?当時の日本人はポーランドの風習も文化もまったくわからない。ポーランドの子どもたちに浴衣は似合わないだろう。なぜ日本まで輸送する?ウラジオストクじゃ保護できないの?アメリカは?中国は?人権で日本に上から目線の欧州諸国は?いくらソビエト赤軍が冷酷でも自国領内の外国人を、まして子どもを殺したりしないだろう。
だが、本当にソビエト赤軍は酷かった。シベリアで死んでいくポーランド人を保護するどころか殺してた。欧米諸国がまったく助けなかったのは何で?何の得にもならないから?
最近の日本のテレビ番組は日本自画自賛番組が多いと揶揄する人がいる。戦前の帝国日本は絶対的な悪でないと気が済まない人もいる。シベリアのポーランド孤児に唯一救いの手を差し伸べた国は帝国日本だけだったと知ってどう言うだろうか。
このドラマで一番自分の印象に残った場面は、子どもたちが坂の向こう側から現れる瞬間だ。歓迎しようと旗を持って待っていた日本人たちが、ポーランドの子どもたちのあまりに汚らしい、死人のような生気のない姿をして歩いてくる姿を目の当たりにして、呆然と言葉を失うシーン。そして、最後にポーランドへ帰国するときは同じ場所を元気に旗を振って歌いながら帰っていくシーンとの対比。
日本人は困難があっても現場の献身的努力でなんとかしてしまう。この当時の人々の努力のおかげでポーランドでの日本の印象はとても良いと聞く。

23歳の竹内結子が美しい。主要キャストとして名前がジャケットに記載されている坂口憲二は最初のほうで死んでしまうのでほとんど出番がない。

2 件のコメント:

  1. 白系ロシア人というのは、実は大半がポーランド人だったらしい。ロシアに逆らってシベリアに流されていたのに加えて、第一次世界大戦で追い立てられて流民となった人々が流れ込んで、シベリアのポーランド人の数は20万人ぐらいいたという。これは食っていけないよね。映画の「天国の門」とか観ても、アメリカは東欧移民に厳しい。人間扱いしていない。それにしても最近目立たないけど昔の日本赤十字は、頑張っていたんだね。

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  2. じゃあ前の消しときます。
    自分は「白ロシア=ベラルーシ」って理解だけで止まってました。島国日本人にはポーランド、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナあたりの微妙な感じは理解不能。シベリアにはユダヤ系の人も多いみたいです。

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