日本人なら誰でも名前は知ってるけど、どんな小説を書いたのか誰も知らない作家…それが直木三十五。以前から気になってた本をようやく読んでみた。「直木三十五伝」(植村鞆音 2005 文芸春秋)という文庫本。作者は直木三十五こと植村宗一の甥でテレビ東京の取締役を務めた人物。若い頃から伯父のことを調べていて定年退職を機に書いた本格的な評伝。
直木三十五という人は大阪生まれの大阪育ち。20歳で早稲田大に入学するために上京。だが、同棲する婦人との生活費に学費と実家からの仕送りを使いはたして除籍。親をごまかすために卒業写真も偽装。大正の就職難の時代、級友たちから取り残されたように極貧生活を送る。
春秋社、冬夏社など出版社の取締役として編集に才覚を発揮し一時期は羽振りのよかったものの、お金を使い切ってしまう。友人の出した出資金で生活し食いつぶす。
無口でぶっきら棒で傲慢で反抗的。人の恨みを買う。だが、なぜか憎まれない性格だったという。原稿料を払ってもらえず怒っていた広津和郎によると、ひどい目に遭わされた債権者も直木という人は好きだと言っていたというから、人間として魅力的だったんだろう。とにかくこの時代の物書きは壮絶貧乏で借金取りに追われる毎日。
直木三十五というペンネームは植村の「植」を分けて数え年を加えたもの。「モーニング娘。'14」みたいなもんか?直木三十一から始まって直木三十五で止めた。ちなみに、三十四は「惨死」に通じて縁起が悪いので使っていない。だが、1作だけ印刷所に回ってしまい世に出た。これトリビア。
親しかった菊池寛が創始した「文藝春秋」で大正文壇ゴシップ記事を書きまくる。これが酷くて笑う。当時活躍中の作家たちを独自に採点。「学殖」芥川龍之介96点、宇野千代32点。「度胸」泉鏡花10点。「風采」里見弴99点、倉田百三98点、今東光92点、菊池寛36点。「腕力」今東光100点、芥川龍之介0点、泉鏡花1点……。「天分」「収養」「将来性」「性欲」などを勝手に採点。横光利一は激おこ。川端康成がまあまあと取り成す。早稲田で同級だった西条八十は「直木と親しくつきあわなくてよかったよ」と言葉を残す。
直木三十五の転機は関東大震災。その日に市谷駅前の広場で直木と出会った広津和郎によると、直木は自分の家が「燃えろ!燃えろ!」と眺めていたという。大震災や戦乱は借金をチャラにしてくれる側面があったのか。直木は大阪へ逃げ戻る。映画事業を始めるも挫折し再び東京。
昭和5年の「南国太平記」から人気作家。昭和9年の死まで、病身で書き上げた著作の量がすごい。この人は芸者遊びと自家用車、子供の学費、愛人などに出費を続け、終生貧乏暮らし。支出を減らせないために収入を得るために雑文、ゴシップ記事、歴史小説を書き続ける。この人の名前が今でも残っているのは菊池寛という金も地位もあった文士と親友だったから。今日、街の書店で手に入る本はごく限られている。自分はまだ1冊も読んだことがないし本を見かけたこともない。
この人の人生には何人もの女性が登場するが、ほとんどが芸者。芸者は大正昭和の「会いに行けるアイドル」だったんだな。
この本を読んでもどうして直木が人々から愛されたのか?その魅力がよくわからない。晩年は短気になって独りぼっち。享年43歳。死後急速に忘れ去られていく。ちなみに亡くなった2月24日を「南国忌」という。
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