2014年7月29日火曜日

司馬遼太郎 「覇王の家」(1973)

今度は司馬が徳川家康を書いた「覇王の家」(新潮文庫)。

この本の後半分は小牧長久手の戦い。「新史太閤記」でも描かれていたので、司馬は秀吉と家康が直接対決したこの合戦は両者の性格が表れた重要な一戦だったと考えてる。

織田信雄が家康に相談なく単独講和して以後、秀吉が家康に上洛を迫るあたりを書くと、いきなり「大坂の陣」も終わって家康が死ぬ場面。その間のことは他の本を読んでね、ってことか。

家康というと「関ヶ原」「大坂の陣」での老獪で嫌なヤツのイメージだったけど、他の武将に比べたらむやみに人を殺してないなって、この本を読んで思った。口数少なく慎重。腹を立てる場面も無表情でハッキリとものをいわない殿様。

家康はその生涯で何度もびびった。三方が原の戦いではもう少しで死んでた。信長から長男・信康を殺すように命令されたのは酒井忠次と信長の意気が合ったせい。本能寺の変では命からがら、有能な部下たちの働きで伊賀を通って三河へ逃げ帰る。

このとき一緒に堺見物してた武田の武将・穴山梅雪という人が明智の走査線で家康と間違えられて殺されてたって初めて知った。その時の心理描写が面白い。そして石川数正の逐電。

この本で司馬がテーマにしたのは三河武士団の異様な閉鎖性。そして家康の特異な性格。信長も秀吉も世界を変えようとしてたけど、家康は何も変えなかった。古いものをそのまま踏襲して天下を取った。

三河武士団の暗い性格がそのまま江戸幕府、つまるところ日本全体のその後の性格も支配した。そして明治から、昭和に至るまで日本人に影響を及ぼした。

この本もやっぱり面白かった。

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