2025年8月11日月曜日

上坂冬子「男装の麗人 川島芳子伝」(昭和59年)

上坂冬子「男装の麗人 川島芳子伝」(昭和59年)を読む。もらった本なので早めに読む。
上坂冬子(1930-2009)の著作を読むのは初めて。トヨタ自動車で13年間OL生活をした後に作家へ転身したと略歴に書かれてる。

曽野綾子と同世代の保守派の論客と言うイメージしか持ってなかった。生前、日曜朝の討論番組か何かで「BC級戦犯を裁判も受けさせず処刑した国々に謝る必要はない。報復は既に済んでいる。」と怒りの発言をしていたのを見たことがある。

で、上坂せんせいは以前から川島芳子に高い関心を持っていたという。自分、川島芳子という人物についてそれほど知らない。
ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」では軍服姿で溥儀夫人(皇后)婉容を天津から連れ出すシーンにちょこっと登場。
上戸彩主演「李香蘭」では菊川怜が演じてた。「ぼくのことはお兄ちゃんと呼べよ」と接近してきた軍服姿の人。

川島芳子(1907-1948)「東洋のマタハリ」として日本人によく知られた理由は、村松梢風の小説「男装の麗人」とその映画。戦後、芳子にとって不利な証拠として採用。(虚々実々の内容なのに?中国・韓国って映画作って証拠として歴史戦に勝つとかいうよね)
戦後、河北省高等法院で漢奸として死刑判決。「直接の証拠はないけど、そうと推察できるから死刑!」昔も今も中国人は変わってないな。
川島芳子は日本国籍を証明できなかった。上海事変時に16歳以下であれば死刑を回避できた可能性もあるが証明できなかった。

この人は清朝皇帝の一族。太宗ホンタイジから始まる清朝八大世襲家の筆頭名家で世界有数の富豪の粛親王第十四王女。本名は愛新覚羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、字は東珍、漢名は金璧輝(きんへきき)。

この人を知るには養父の川島浪速(1866-1949)について知らなければならない。松本藩士の子で日清戦争や北支事変に通訳として参加。紫禁城を開城する交渉で粛親王の信頼を得て生涯の友人となる。そいういうわけで顯㺭は川島の養子・芳子となる。
川島は東京市外岩淵村稲付(現赤羽二丁目)の大きな家に住んでいたらしい。
その後、一家は長野県松本市へ転居。川島芳子は馬に乗って松本高女へ通う。(それどこ?現在の松本蟻ヶ崎高校だ。)

松本連隊山家亨少尉と恋仲になる。この人、ドラマ「李香蘭」では満映で芸能を仕切ってた。小野武彦さんだった。(山家は戦後、山梨県南巨摩郡西山村の炭焼き小屋で首なし死体となって発見?!)

芳子は変わり者。松本高女では単なる聴講生?土屋文明校長が復学を認めず?!

粛親王は復辟を目指して日本軍部と協力。川島浪速は満蒙独立運動へ。
しかし、その後の日本政府の方針転換によって挫折。もう清朝復辟とかいう時代じゃなかった。
僅か七歳の身で清王朝復辟をめぐって肝胆相照らした実父と養父との約束で日本に渡り、その揚句実父は世を去り、養父は蟄居を余儀なくされて、帰るに家なく関東軍に身を寄せた芳子もまた、広義における侵略日本の犠牲者と位置づけられるのではないか。
上坂せんせいは保守派であっても関東軍と日本の大陸における侵略性はしっかり認めてた。歴史修正主義者じゃなかった。

川島芳子は自殺未遂起こしたり五分刈りにしてみたりお騒がせ有名人。蒙古族のカンジャルジャプと結婚。そして離婚。
上海駐在武官田中隆吉と昵懇になる。帝国軍人として教育を受けた者は王族の血を引いた者は恐れ多い。
そして、国民党が憎い芳子は田中と共に諜報工作活動の世界へ足を踏み入れる。

昭和8年2月22日付朝日新聞では同日の「小林多喜二 築地署で急逝」の記事よりも二倍以上のスペースで「男装の麗人川島芳子嬢 熱河自警団の総司令に推さる 雄々しくも兵匪討伐の陣頭に」という記事。芳子の活動は実体以上に誇張。

講演会では軍部を批判したり…このあたりから関東軍も川島芳子を持て余す。相場師と交際したり、国粋大衆党の笹川良一に接近したり、東興楼の女将時代に李香蘭を可愛がる。
たとえるなら、ブームに乗ってタレント議員となり、その後急速に熱狂の去った後の人…ような感じ?

川島芳子の裁判はラジオ中継もされたのだが、芳子が孫文の息子孫科との関係を話し始めたら即放送中止w やっぱり中国。

文革で酷い目に遭った愛新覚羅の一族たちは芳子への評価が厳しい。しかし、芳子を「立派な人だった」という人も多い。
芳子の兄や妹たちに会って直接話を聴いて調べた上坂せんせいの労作。

粛親王の38人の子女の中には日本留学して医学を修めた人物もいる。もしかして、数年前に日本で話題になった愛新覚羅という名前の眼科医って、この一族?かと考えたのだが、文春のインタビューによると違う一族らしい。遼寧省から名古屋大へ留学し東大で医学博士を経てクリニックを開業した人らしい。自分と同じ疑問を持って調べてくれた人が文春にいた。

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