2024年11月1日金曜日

三木清「人生論ノート」(昭和16年)

三木清「人生論ノート」(昭和16年)を読む。この思索断片ノートは早くから新潮文庫化(昭和29年)されている。

三木清(1897-1945)は京都帝国大で西田幾多郎に師事した後、ドイツに渡りリッケルト、ハイデガーの薫陶を受けた哲学者、社会批評家。戦時中にささいな罪で獄に繋がれ、ちょっとした間違いのような病で獄死。もうちょっと検察官や看守が気の利く奴だったら、もうちょっとGHQが早く豊多摩刑務所に来てたら、こんな悲惨な死に方をしてなかった。

実はこの本を初めて読んだのは中学生のとき。当時の自分にはそのほとんどが理解できなかったw たぶん、一流の進学校を受験するような秀才でもこの本は太刀打ちできないだろうと思う。高校現代文が得意な人ならかろうじて何とかなるかもしれない困惑の逆説的な言説文体。

自分が今回この本を開いてみた理由は、女優の黒島結菜がこの本をボロボロになるほど々開いてるらしいから。黒島も「言ってることの1割か2割しか内容を理解できてないと思う」と語る。自分はこの本を学生時代ごろまでは所持していて、ときどき思いつくと手に取って開いてみたりしてた。たぶん、当時の自分も理解度は1割ぐらいだったと思われる。

今、開いてみて、「死について」「幸福について」「虚栄について」「孤独について」「嫉妬について」あたりはなんとなく意味はわかる。
名言ぽい箇所は多数だが、それでも大部分は「……。」と困惑。

この本はエイッと一気に読了して感想を書くということは生涯ないと思う。何度かぱらぱらとめくって目についた箇所を読むことしかできない。

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