夏目漱石「三四郎」をまだ1回も読んだことがなかった。今年の夏になってやっと読み通した。
新潮文庫版も岩波文庫版も、角川文庫版も表紙がしっくりこない。なのでしかたない。明治42年の春陽堂版(昭和51年ほるぷ社復刻版)がBOで300円で売られていたのでこいつで読む。発売時の価格は金壱圓参拾銭。
おそらく前の所有者が大事に保管していただけで、たぶんほとんど読んでないもの。自分が最終保持者となるつもりで方々に持ち運んで読む。
実は「三四郎」ははるか昔に一度最初の方だけ読んだことがあった。漱石の小説は出だしは面白かったりするのだが、だんだんと難渋になっていく。それは「吾輩は猫である」「草枕」も同じ。
三四郎の熊本から東京大学へ入学するために上京するまでの汽車の旅シーンが、この本で一番面白い。
いきなり食い終わった弁当箱を汽車の窓から投げ捨てようとして風で押し戻されて女の顔に当たるとかw今ならSNS拡散され炎上して大激怒案件。
そして汽車で出会っただけの女と名古屋の安旅館での一夜。部屋も一緒、風呂も一緒、布団も一緒のあげく、別れ際「あなたは餘つ程度胸のない方ですね」と笑われる件。
さらに廣田先生(とても40がらみ紳士とは思えない好々爺)との出会い。「日本は滅びるね」の件もぞわぞわする。心の中での初対面紳士にたいする見方と分析が失礼。
理科大(理学部のことか?)で同郷の野々宮宗八との初対面。
そして三四郎池(当時はそんな名前じゃない)を眺めながら「現実世界は危なくて近寄れない気がする」
そして里見ストレイシープ美禰子との出会い。
佐々木與次郎という友人ができる。真面目すぎる三四郎は週に40時間も講義に出てて「バカなの?」「下宿屋のまづい飯を一日に十返食らって物足りる様になるか考へて見ろ」例えが面白い。
與次郎「女は怖ろしいものだよ」三四郎「恐ろしいものだ、僕もしってゐる」気が合う。
自分、この小説を日露戦争後の明治トレンディドラマだと思ってた。前半はほぼ男友だちだけとの交流シーンのみ。
運動会見物がつまらないw
「砲丸投げ程腕の力の要るものはなからう。力の要る割に是程面白くないものも澤山ない。ただ文字通り砲丸を抛げるのである。藝でも何でもない。」
この時代の東大文科学生三四郎はわりとのんびりぼんやり野郎だが、そこは漱石先生。たまに性格のひねくれた江戸っ子イズムがにじみ出る。
漱石先生は本当に文章が上手いしおしゃれ。マネしたくなる。
「そのうち秋は高くなる。食慾は進む。二十三の青年が到底人生に疲れてゐる事が出事ない時節が来た。」
しかし、それ以外はスノッブ会話が多すぎる。
あと、この時代はいい若いもんが団子坂に菊人形見物に行くしかないのかw
東大生ですら毎日こうなら庶民はもっと退屈だったに違いない明治時代。
妹の看病に出かけた野々宮のために留守番してて近所で轢死体が発生。死体を見にでかけて、その話をしたらうらやましがられるって、いったいどんな料簡なんだ明治時代。
あと、借金で周囲に迷惑をかける不良学生と自分は出会わずにすんでよかったなと思った。
明治の知識人、大学生がどんな会話をしていたのか知れるという点以外の魅力に乏しい青春小説。面白さのわかりづらいドラマ。
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