2022年3月24日木曜日

遠藤周作「侍」(昭和55年)

遠藤周作「侍」(昭和55年)を新潮文庫で読む。支倉常長(1571-1622)については名前しかしらなかった。この小説を読むことでお勉強。

長谷倉六右衛門は貧しく痩せた谷戸で百姓同然の郷士。「また戦さがあれば先祖伝来の黒川の旧領を取り戻せる」が口癖の老いた叔父と、妻とふたりの子と暮らしてる。すでに徳川の時代となり社会も安定。訴えも一向に聞き入れられない。一生この谷戸から出られないだろうな…。
だが、上役の白石さまや石田さまの推挙で、江戸から送られて来た神父と紀州に漂流したサンファン・バプティスタ号に同乗し、使者衆としてノベスパニヤ(メキシコ)に行くように指示される。村の若者たちも従者として。

この小説の主人公は「侍」もしくは「六」と書かれている。この人目線で語られる。
そしてもう一人の主役が通詞ベラスコ神父(ルイス・ソテロ神父 1574-1624 がモデル)。
神父にしては傲慢で出世に野心的。他の会はよく思わないけど、自分のやりようで日本でキリスト教を布教したい。すでに切支丹は御禁制の時代。大弾圧は世界に知られてる。

侍は同僚の田中、松木、西とそれぞれの従者たちと共に、月の浦から出向。途中で2度の嵐、負傷、船酔い、栄養不足などで乗員乗客が死亡する過酷な旅。2か月半の航海の後にノベスパニヤのアカプルコ要塞へ到着。
だが、あれ?日本人が歓迎されていない。侮蔑されたと感じ、怒りと不満はベラスコ神父へ。右も左もわからない異国ではベラスコ通詞を介してしか現地の情報は得られない。本当のことを伝えてくれてるかわからない。

頭のいい松木は「我々は捨て石。海の藻屑になればよいし、使者として上手く勤められなければ不忠勤で罰せられる。うるさい土地の訴えをなかったことにできる」と訳知り顔で解説。忍耐と諦めの谷戸で育った六には政治のことなどなにもわからない。

六はベラスコから見ても見栄えのよくない愚鈍な印象。なんでこいつが使者なの?日本人は心を表情に出さないし、どんなに説いてもキリスト教を受け入れない。
一方で六から見たらベラスコは体臭が臭いし、油断のならないやつ。

使者への正式なエスパニヤ国王の返答に半年から1年かかると言われて絶望。勤めを果たすためにはエスパニヤに行くしかない。従者の与蔵も運命を受け入れるしかない。
メヒコからベラクルスに向かう。松木らは日本人商人たちは残り、先に日本に帰る。

途中のプエブラという街近くの村で元修道士だという日本人と出会う。「切支丹に嫌気がささした」「自分は切支丹だがパードレの説く切支丹は信じない」
エスパニヤ人たちは原住民インディオを殺戮した。それを見れば、立派な教会にキリストはいない。憐れなインディオたちの心にキリストはいる。
ワシュテカ族の叛乱で田中の従者が重傷を負う。それが元で後に死亡。落ち込む。

そしてエスパニヤのセビリヤ、トレド、マドリッド。南蛮の街は発展してる。ベラスコは日本人たちを国王に会わせる画策。だが、ベラスコを快く思わないペテロ会が邪魔をする。これは日本人に洗礼を受けさせないといけないかもしれない。
長谷倉らは洗礼に抵抗があったのだが、方便としてしかたなく受ける。(洗礼を受けてしまったことが後々大問題)
長谷倉にはあの針金のように痩せこけうなだれた男の像の姿が何度もフラッシュバック。なぜあの男の姿が必要なのか?と考える。

修道士会議で日本での布教存続派はベラスコただひとり。教会組織としては日本撤退が主流。ベラスコの敗北。
ローマ法王パウルス5世への直訴もむなしい結果。エスパニヤへもどり、ノベスパニアに戻り、田中はお勤めを果たせなかったことを苦に自害。

長谷倉と西はマニラから長崎を経て三陸に帰還。だがあれ?誰も出迎えがない。切支丹禁制がさらに強まってノベスパニヤとの交易と使者を送ったこともなかったことに。
旧領を取り戻すどころか、逆に謹慎でよかったとか、これが政事だとか、運が悪かったとか、不満を持つなとか、言われる。こんなはずじゃなかった。ひっそり目立たぬよう谷戸で暮らすしか選択肢がない。

史実と合ってるのかわからないのだが、この小説では長谷倉と西は自害、日本に再び舞い戻ったベラスコも殉教処刑ということになって終わる。
あの苦難の大旅行はなんだったのか。虚しさ百倍。

切支丹大弾圧に加担した豊臣徳川と諸大名旗本たちは永遠に呪われた。なぜここまで残虐になれるのか。だが、キリスト教の歴史も狂ってる。布教を理由にどれだけ現地人を殺したのか。信仰って一体何なんだろうね?
自分の読んだ感じだと「沈黙」以上の傑作。広くオススメする。

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