朝からのんきに茨城まで映画ロケ地めぐりに出かけていて、朝9時過ぎごろにカーラジオで、竹内結子が自宅で死亡していたことを知った。おそらく30年に一度あるかないかという衝撃的に哀しいニュース。
「自宅でってことは、たぶん自殺だよね…」「子どもが生まれたばかりじゃなかったのか?」重苦しい朝になった。霞ヶ浦の湖面を眺めながら名状しがたい不安と悲しみに気分が暗く沈んだ。
三浦春馬のときも芦名星のときもショックだったけど、竹内結子が今この時期に死ぬということはまったく想定していなかった。死から遠いところに存在してる明るくて強い女性だとイメージしていた。予期できなさすぎて衝撃はとてつもなく大きかった。
私たち社会と日常にはあまりに深く暗い奈落が開いていたことを知った。深淵を垣間見た。
もう、それから先はなるべく詳しい状況はなるべく聴かないように見ないようにしている。
竹内結子の出演作品をひとつも見ていないなんていう日本人はいないんじゃないか?あまりに多くの映画にもドラマにもCMにも出ている。目にしない日がない。
もうこれから先の自分に残された人生において、竹内結子の新作映画やドラマやCMを目にすることはないのか。そう考えるとつらい。
自分は1st写真集も発売当時に渋谷東急まで言ってサインしてもらって握手した。フジテレビの「サイボーグ」も見てて初めてフジテレビ球体展望台に行ったし、「イノセントワールド」では後に青森県竜飛岬までロケ地巡りに行った。唯一のシングルCD「ただ風は吹くから」も発売当時に買った。カレンダーも買った。それぐらい自分にとって竹内結子は大切な存在だった。
これはたぶん5年ぐらい前にたまたまそこに100円で売られていたので購入したアップトゥボーイ誌2001年4月号。たぶん竹写結子が21歳になる直前。なんと可愛らしくなんとカッコイイのか。
これは多分BLT2000年10月号。竹内結子20歳。いま手元にある紙資料はこれだけ。パソコン内部にもあまり画像データはなかった。というのも、竹内は2004年に「いま、会いにゆきます」で知り合った歌舞伎役者と2005年に結婚してしまった。以後はそれほど追いかけてなかった。その間にパソコンが何台も交替した。
自分は「ランチの女王」「笑顔の法則」「不機嫌なジーン」は見てたけど、「あすか」「白い影」「プライド」は見てなかった。最近の話題作「シャーロック」も見てなかった。
自分は竹内結子の死を認めない。竹内本人もたぶん自分が死んだことに気づいてないんじゃないか。「ご冥福をお祈りします」などという決まり文句を言うつもりはない。どこか遠くで生きてるものと思いたい。
今後10年ぐらい竹内結子の語り部をやっていきたい。世間が竹内結子を忘れかけたころ、かつて竹内結子という可愛らしい女優がいたことを世間に知らせていきたい。
ここ数日、竹内の映像資料を探してみた。2005年から2008年ごろのCM映像は見つかった。ただ、竹内が独身だった2004年以前はテレビ番組の録画環境がVHSビデオテープだった。ビデオテープは15年ほど前に大量に処分したので、たぶんもう竹内の映像は残っていない。痛恨。たぶん、実家の押し入れを掘り返せばもっと雑誌資料とか出てくると思う。
PS. YUI資料として2007年夏に放送された「僕らの音楽」での対談シーンを少しだけ抜粋して紹介しておく。竹内がふだんどんなことを考えていたのか?興味深い。
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