2020年9月17日木曜日

吉村昭「生麦事件」(1998)

吉村昭「生麦事件」(1998)を読む。2年前の6月に買っておいたままだった平成14年新潮文庫版上下巻で読む。
吉村昭の著作なので昭和ぐらいに書かれた本かと思ってたのだが、平成10年に新潮社から刊行されたわりと新しい本。

京へ戻る島津久光の行列が江戸高輪藩邸を出立する場面から本は始まる。尊王攘夷と公武合体という時代。
江戸では麻疹と暴寫熱(安政コレラの第2波)による死者が毎日発生。町奉行所のまとめで麻疹死者14210人、暴寫熱死者6742人。空にはほうき星。日照り続きで不穏な空気。

当時の日本人はもれなく外国人は不遜で神聖な日本を汚す存在だと考えていた。幕府は島津の行列が外国人と接触し不測の事態が起こらないか心配してた。
習慣も言葉も異なる外国人に手荒な真似は避けるように事前に通達。外国公館にもその日は外出を避けるよう通達。

そして、文久2年8月21日(1862年9月14日)

島津の行列は鶴見村でアメリカ領事館書記官ヴァン・リードと遭遇。この人は英国公使通訳官ヒュースケン殺害事件を目にしていて、サムライの刀の異常な切れ味と技術に恐ろしさを痛感していた日本通。礼をわきまえて馬を畑の中の道に引き入れ、通過時には脱帽片膝で無難にやり過ごした。

そして生麦村へ。川崎大師見物に出かけた英国人リチャードソン、マーシャル、クラーク、ボロデイル夫人(マーガレット)の4人がやってくる。当時横浜の居留地では乗馬で近郊へ出かけることが流行ってたらしい。
大名行列(1キロ以上続く)の先頭集団からは刺すような視線を浴びつつも、馬を左わきに寄せて緊張しながらやり過ごしたのだが、島津久光の駕籠の一段のときは生垣のある畑で狭く馬が暴れてしまった。引き返すべきだった。

野太刀自顕流薬丸半左衛門の高弟で薩摩藩屈指の剣の使い手奈良原喜左衛門がリチャードソンの馬に走り寄り脇腹を深く斬り上げ返す刀で左肩から斬り下げた。馬上逃げるリチャードソン小姓組久木村治休が左わき腹を払い右腕を斬り落とした。
松並木土手に身を寄せるようにしているリチャードソンを共目付海江田武次が脇差で心臓にとどめを刺した。
重傷のマーシャルとクラークは神奈川宿の本覚寺アメリカ領事館へ保護を求めて駆け込んだ。土地に不慣れだったマーガレットは狂乱状態のまま海岸通りから横浜居留地へたどり着く。

リチャードソン一行の慎重さの足りない無知な行動と不敬は批判されるべき。こういう人たちは今でも世界で紛争を起こす。当時はサムライとして不敬な輩を斬って捨てたことはむしろ褒められるべき美しい行動だが、外国人をその場で斬殺はやりすぎ。(日本人庶民であったとしてもやりすぎ)

納戸奉行中山中左衛門、小納戸頭取大久保一蔵(利通)、側役小松帯刀らは協議する。(このとき松方正義もいた)
仲間を殺されたことで横浜居留地は激高して部隊を派遣してくるかもしれない。神奈川宿でなく急きょ程ヶ谷宿に移動。久光は本陣から遠く離れた旅籠へ移す。
この久光が酷い。大久保が事件報告で「いかがしましょう?」と問いかけてるのに、「いかがもなにも、その方で評議せよ」この人に自分の意志というものはないのか?

奈良原「100人の士を貸してくれれば横浜居留地を焦土と化し異国人どもを斬り棄ててくる!」そんなことしたら江戸が火の海になるわ!
一方横浜の異国人たちは薩摩を殺せ!久光を殺せ!警備兵を出動させろ!こちらも勇ましい。一触即発。(当時はオールコック公使が日本に不在)

聞き取り調査にも薩摩は「浪士ふうの男たちがやった」とか、架空の藩士を創造して逃げたことにするとか不誠実な嘘つき対応w 白昼の出来事で多くの目撃者がいたので言い逃れできないのに。

ニール代理公使がめっちゃ怒ってる。英仏米オランダが徒党を組んで戦争をちらつかせる。幕府の落ち度もあったので遺族への賠償金はいたしかたないにしても、島津久光をとらえて処刑しろ!という要求はやりすぎ。英国人が日本人を殺したらヴィクトリア女王を日本まで連行して殺すっていってるようなもの。政府の力が弱くなってる国に勝手に押しかけてきておいて勝手なことを言う。これが英国のやりかた。

薩摩は英国と戦争して全滅してもかまわないけど、幕府の役人たち大迷惑。止めるのも聴かずに薩摩の連中は逃げるように京へ。島津が外国人を斬り殺したことは京でもすでに知られていて大評判w 
急進攘夷派が増長しすぎ。こいつら世界を知らなすぎ。迷惑でしかない。

そのころ幕府は長州藩の毛利親子の力が強くなってた京都の朝廷から攘夷決行をやんやの催促。政事総裁職松平慶永は公武合体派が駆逐された京に嫌気がさして福井に帰ってしまった…。

将軍家茂と将軍後見職一橋慶喜は京都に行ったまま。老中小笠原長行は勝手に賠償金を払ったら家茂にも慶喜にも朝廷にも怒られる。だが、すでに政治を引退してた外交通水野忠徳が「江戸が火の海になってしまえば将軍も帰ってこれなくなるし、非は幕府にもあるからとりあえず払ってしまおう。攘夷決行はその後決めよう。」
それでも「払おう」「いや、払いたくない」でグダグダ行ったり来たり。ニールはさらに激怒。戦争が近いと感じた江戸や東海道筋の人々が逃げ出す。(幕府はいちおう支払い完了)

鹿児島志布志湾にニール代理公使が乗り込む。クーパー準提督ら軍艦5隻で。この陣容なら相手がビビるだろうと。だが交渉決裂。
英国は薩摩の蒸気船軍艦3隻を開戦前に拿捕。抵抗した者を射殺し海に捨てていた。これは完全な国際法違反の海賊行為。この時点で生麦の件はチャラのはず。
鹿児島の街は炎上。砲台の台場もすべて破壊。だが、英艦隊側も11名を失い被害が大きく撤退。これには横浜居留民たちもしょんぼり。京都や幕府は喜びをかくせないw

生麦事件の本を読んでいたはずが下巻もひたすら薩英戦争と下関戦争。攘夷に狂ってた薩摩と長州が外国艦隊と大砲と銃を撃ちあった結果、「攘夷って無理じゃね?」って雰囲気になっていく。
そして大人たちの和平交渉。外国船を砲撃した賠償金を幕府のせいにした長州が酷いw
そして、京都の政変。長州征伐。なぜか成立してしまう薩長同盟。

そして徳川宗家を継いだ6歳の徳川亀之助(家達)の駕籠の行列が静岡へ向けて生麦村にさしかかる。なぜかこの場面でこの本は突然終わる。

この本もとても読みごたえがあった。これ一冊で幕末史がよくわかる。オススメする。

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