2020年7月5日日曜日

木村盛武「慟哭の谷」(1994)

木村盛武(1920-2019)「慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件」を読む。大正4年(1915)年の北海道三毛別羆事件のドキュメンタリー。

苫前村三毛別人食いヒグマ事件が世間でバズってた時期に出た2015年文春文庫版で読む。これ、昨年秋に100円で見つけて確保。

吉村昭「羆嵐」を先に読んだ状態で読む。吉村氏の小説はこの「慟哭の谷」がベースとなっている。吉村氏は木村氏に手紙を買いて小説にする許可を得た。
どちらも三毛別事件に関心のある人には必読の1冊。

「羆嵐」は小説として劇的で面白く感動的。それに比べると「慟哭の谷」はやはり事件の記録。読む面白さでは完全に「羆嵐」が上。

木村氏は幼い時から林務官だった父からこの恐ろしい事件について聞かされていたという。自身も林務官となった昭和16年ごろからこの事件の調査を開始。昭和36年に事件現場管区の丹古別営林署勤務になってから生存者への聞き込みを開始。

そして1964年に旭川営林局誌に「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」を発表し、この事件を世間に知らしめた。1994年に共同文化社より「慟哭の谷」として出版された。この事件のことを今日くわしく知ることができるのはこの本のおかげ。

討伐隊、遺族、生家が対策本部となった熊撃ち大川氏、など多くの証言を得て後世に伝えた点で偉大。
事件当時33歳で実子を失い九死に一生を得た蓮見チセ(82)さんと交流し、事件当時13歳で妊娠中の母と弟を失った斉藤ハマ(62)さんを偶然に見つけ出し話を聴いたというのが貴重。

日露戦争の戦利品の銃を持ち軍帽をかぶった「サバサキの兄」(樺太でヒグマをサバサキ包丁で刺し殺したことからついた異名)こと山本兵吉の活躍はレジェンド。1発目は心臓に、2発目は頭部を貫通させ魔獣を仕留めた。
この羆は三毛別六線沢で計8名の命を奪ったのだが、それ以前にも3人の女を食っている?!

事件当時の記録が新聞しかない。
退治した羆の頭蓋骨、毛皮もある時点までは確認できたのだが、その後どこへ行ったのか所在不明。
北海道民を恐怖に陥れた事件だったのだが、埋もれて忘れられた事件だった。

この文庫版は後半の第2部として日本のヒグマ遭難事件が列挙されている。
大正14年の北海道庁林務官殉職事件。昭和45年7月に日高山系で福岡大ワンゲル部3人が犠牲になった事件。なにもかももれなく怖い。

筆者が小樽水産学校5年生の昭和13年8月に北千島パラムシル島居相川(当時の地図が見つけられず所在不明)で遭遇した人食いヒグマ事件について書かれている。
サケ・マスの遡上を見物に行った27歳の漁夫がヒグマに襲われ喰われた凄惨な事件。ちょっとの時間差で筆者は助かったのだが、このヒグマが怖い。

人を喰おうとやってくるヒグマは人が大勢いても襲ってくるし、火を恐れないし、音を立ててもダメだし、死んだふりもダメだし、食い残しがあるうちはその場を離れないし、いったんヒグマの所有物になった餌には執着するので取り返すこともダメ。とにかく執拗で貪欲でふてぶてしい。

殺した人間は衣服をはぎ取り、頭皮をはぎ取り、バリバリ貪り食う。遺体は悲惨な状態。血を吸いながら食べるらしく血液が残らないらしい。食べ残しは土に埋めるらしい。

そして1996年7月に動物写真家星野道夫がカムチャッカ・クリル湖畔でヒグマに襲われ喰われた事件。これも凄惨すぎて怖い。クマよけスプレーとか何の役にもたってない。

ヒグマへのイメージが劇的に酷いものに変る1冊。とにかくヒグマに出会いそうな人はライフル銃でも散弾銃でもなんでも命を守るものを持っていけ。

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