祥伝社新書に樋口雄彦「第十六代徳川家達」(2012)という本があるので読んでみた。
自分、わずか4歳で徳川宗家を継いだ徳川家達(いえさと)の存在を知ったのは数年前。「やりすぎ都市伝説」で中田敦彦のプレゼントークで知った。本来であれば徳川将軍になっていたであろう人物で、30年も貴族院議長を務め、東京オリンピック組織委員会委員長にもなった人物。(いだてんに出て来た記憶がまったくない)
昨年にNHK「交信ヲ傍受セヨ」(昭和54年放送)をYOUTUBEで見てたら、二・二六事件で大命が下り討伐が始まるという夜に、首相官邸を占拠した栗原安秀と外部からの電話相談してる会話に「西園寺公もね、徳川もね、」という箇所が出てくるのだが、この徳川って家達のこと?そんなに国政に影響力があったの?
そんなわけで徳川家達という人物について何も知らなかったので、この本を選んだ。この人は教科書で見た記憶がまったくない。
松平春嶽の弟田安慶頼と津田竹子(側室)との子が田安亀之助(のちの家達)。
十四代家茂が死去した後、後継将軍に未亡人和宮は一橋慶喜を、十三代家定の未亡人天璋院は田安亀之助を推した。
結果、幼少すぎた亀之助ではなく慶喜が十五代将軍となった。慶喜の次は家達となるはずだったのだが、慶喜は大政奉還してしまう。慶応四年、明治新政府は徳川宗家の相続者に家達を指名した。駿府70万石の領主に。そして家達は初代静岡藩主。
廃藩置県によって家達は東京千駄ヶ谷に住むようになる。後に公爵になり貴族院議員。
大正3年に第1次山本内閣が総辞職したとき組閣の大命が下ったものの辞退。このとき辞退しなければ徳川総理大臣が誕生していた。
この人は政治家として野心があったわけでなく、議長のような仕事に自分を見出した。
議長や赤十字やオリンピックといった皇族の方がするような仕事ばかり。少年時代から英国留学して英語が堪能で英米に知己を得た。そういう意味で国際交流で国のために働いた人だとはいえる。
つまり、日本史の劇的な場面にいたのは幼少のときのみ。この本も読んでいてとくに面白いと感じる箇所はないw ひたすら経歴を読んでるだけの本。
徳川の静岡や沼津との関係の深さを学んだ。あとは、15代慶喜に対して冷たい対応。
「慶喜は徳川家を15代で終わらせた人。自分は新徳川家の初代。」
公務に婦人を帯同させた件と、男色家疑惑というスキャンダルがあったことも知った。
自分としてはワシントン軍縮会議全権委員としてどんな役割をしたのか?とか知りたかった。
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