2018年10月7日日曜日

堀辰雄「風たちぬ」(昭和13年)

堀辰雄「風たちぬ」は学生時代に一度読んだことがあったのだが、当時はよくわからなかったので、今回読み直した。

野田書房(牛込区柳町)の昭和13年「五百部限定版」の昭和55年ほるぷ復刻版がそこに200円で売られていたので手に取った。このシリーズはBOでたまに安価で見かける。安価で初版本を読んでる雰囲気が味わえてよい。
"Le vent se lève, il faut tenter de vivre." by Paul Valéry
「風立ちぬ」とはポール・ヴァレリーの詩の一節。
「風立ちぬ いざ生きめやも」という訳がついているが、古文文法をまったくスルーした自分には「立ちぬ」ってなんだよ?「生きめやも」ってなんだよ?って感じ。

40代以上の人は松田聖子、それ以降はジブリアニメを連想するかもしれないが、堀辰雄の小説がおそらく一番有名。

昔の日本語は現代国語とくらべて漢字の読みの当て方がアバウト。初版版はフリガナがまったくなくて、堀辰雄の使う漢字の読みが独特で、いちいち立ち止まって読みを調べないと進めない箇所がいくつかあった。
だが、そういう読み方がきっとこの長編には合っている。

若い夫婦の闘病記みたいなイメージを持っていた。今回読んでみて婚約者同士だと知った。この男女が一体何歳なのか不明だなと思った。20代前半?現代なら40代でもおかしくないけど、昭和10年頃の40代は今よりもずっと老人扱いだからな。

八ヶ岳山麓のサナトリウムに夫婦が一緒に入所し、旦那が妻の病を看ている。何気ない会話に幸福を感じ、自然を眺める。この男が何ら働いていない。節子は資産家か?

この物語は冬で実質終わる。17号室の一番重篤な患者、背の高い気味の悪い男の死は直接言及している。わさわさする看護婦などを見て感じ取る。体調の悪そうな「節子」は描くのだが「死」自体は描かれない。触れてない。

終章「死のかげの谷」で突然1年後の真冬の軽井沢へ話が飛んでいて面食らう。ああ、節子が死んで男ひとり流浪してるのか。一切説明しない男なので話の流れがよくわからないw
今回「風立ちぬ」を読んでみて、子どもたちに古典名作を読ませることはあまり意味がないなと感じた。おとなになって方々へ出かけるようになった今になって、やっと堀辰雄の筆致で描かれる風景がイメージできる。

渓谷の山道に羊歯が生えている情景とか、遠くの山並みとか、雲の様子とか、自然や気象の知識を蓄えていろんな風景を見て感じた大人じゃないとぜんぜんイメージできない。
自分もエニシダがどんな花かわからずググってみてなんとなくイメージできた。

たぶん高校時代の自分は頭に情景をまったく描かずに、ひたすら活字をにらんで暗号解読に勤めていた。無駄な闘いだったw こどもの国語力を試すテストに名作を出すなと言いたい。

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