日本獣害史上最悪の惨事。大正4年12月、北海道天塩山地六線沢に入植した人々を巨大人食い羆が襲った事件。わずか2日で女子どもを中心に6人が惨殺された獣害事件のノンフィクション。
この時代はまだ新参の入植者のほとんどは草がこいの壁で冬を過ごしていた。金を貯めた真面目な男だけが板かこいの家を持ってた。
板壁であってもなんなくぶち破った巨大羆が襲う。子どもは首の肉を持っていかれ、妻は引きずり持ち去られる。
さらに次の夜はお通夜で集まってる家が襲われ、ドア向こうでバリバリと骨を砕きながら人肉を食らう巨大羆!恐ろしすぎるモンスターパニックホラー。まるでジョーズだしシン・ゴジラ。
多くの読者にトラウマを残した吉村昭の怖すぎる筆致に感心しかしない。
新規入植者は銃を買えるほど豊かになっていない。周辺の村々に応援を要請。この時代の銃は不発が頻発する銃。火を焚いていてもダメ、銃があっても信頼できない。分署長も200名を統率してやってきても、誰も熊に関する知識はない。散乱する遺体を見て吐いて戻したり、薪が崩れる音を聴いただけでパニックになるなど情けない。誰も頼れない…。
遺体は家に放置してくるしかない。羆の囮(エサ)となってもらうしかない。じゃないとさらに犠牲者を求めて避難先にもやってくるかも…というギリギリな判断になるほど状況は切迫。
そこで区長は、粗暴なために人々からつまはじきにされ嫌われてる熊撃ち名人・銀四郎に協力を要請。この名人ほど頼もしいと思った人はいない。区長と銀四郎のふたりは小説としても映画としてもほぼ完璧なキャラクター。
女の遺体ばかり食い散らされている。羆は男児の遺体には手をつけていない。
「最初に女を食った羆は、その味になじんで女ばかり食う。男は殺しても食ったりするようなことはないのだ。」銀四郎の羆に関する正確な知識が恐ろしい。その証拠に羆は貪欲に女が身に着けていたものをあさる。女の体を求めて、三毛別に来るかもしれない。
そしてラストは劇的に羆を射止める。銀四郎は頼もしかったが、用心棒は多額の報酬を要求し受け取って帰っていく…。映画のように映像が浮かぶ。
これほどの恐怖体験に打ち勝った六線沢の人々だったのだが、一家族一家族村を棄てていってしまい大正年間に廃村。戦後満洲引揚者が移り住んだものの、この作品が書かれた当時はもう1世帯になっていた。
この本は一晩で一気に読み切ってしまう面白さも持っている。広くオススメしたい。北海道開拓民の苦労をしのぶ。
なおこの「羆嵐」は、旭川営林局技官だった木村盛武氏による「獣害史最大の惨劇 苫前羆事件」(昭和39年)をベースにしている。こちらの本もよく読まれているようだ。
なお、昭和57年文庫版に倉本聰が巻末解説を書いている。TBSラジオから「羆嵐」ラジオドラマ化を依頼されていた。昭和54年12月に三毛別(現苫前町三渓)を訪れ、事件当時7歳だったという熊撃ち名人の古老にも話を聞いている。
今ではグーグル航空写真で現場を見ることができる。人家がまったくないが、道道1049号線に三毛別ヒグマ事件復元地というものがそこに建っている。大正時代になってもこんな粗末な小屋で人々が生活していたことに驚く。
ストビューで古丹別の街を見て回る。大正4年の真冬に着の身着のままで避難した人々のことを想う。
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