2017年8月15日火曜日

吉村昭「大本営が震えた日」(1968)

吉村昭「大本営が震えた日」を手に入れた。自分が手に入れたものは昭和56年版新潮文庫の平成7年33刷。108円でゲット。

これ、自分が15歳の時に読んだ。今回読み返してみてほとんど覚えていなかった。ということは、当時の自分はほとんど理解できていなかったということだろうな。

対米交渉が決裂し、大本営は米英蘭を相手に12月8日開戦を決定していた時期、昭和16年12月1日に上海から台北を経由し広東へ向かっていた中華航空機が、国民党重慶政府支配下の山中に墜落。

この機に搭乗していた支那派遣軍総司令部杉坂少佐が携帯している香港作戦命令書が、もしも重慶政府の手に渡り、英米に知らされたら真珠湾奇襲攻撃もマレー上陸もぜんぶパーになるかも…とあわてふためく大本営の12月8日開戦前1週間のドキュメント。

軍というものは非情なもので、「できれば海に墜ちていてくれ」と願うありさま。
飛行機事故自体が悲惨なものだが、命令書や暗号表が敵の手に渡るのを防ぐために、墜落現場を爆撃。書類の隠滅を図る。
もちろん民間人を含む事故の生存者などの命よりも機密情報が大切。半径数キロの生物をすべて抹殺にかかる。

国民党の支那兵から逃れないといけないし、日本軍の爆撃からも逃げないといけない。爆撃される意味のわからない宮原中尉の命からがらの逃避行。
そして、もうひとつの目線。奇跡的に生き残った杉坂少佐と第25軍暗号班の久野曹長の逃避行が前半で描かれる。このへん、まるで映画みたいにめちゃスリリング。

吉村氏は宮原・久野両氏に直接会って取材。埋もれかけてた事実を掘り起こした大変な労作。だが、この顛末記はこの本の3分の1。

真ん中3分の1はマレー上陸作戦。この本を読むまで、マレー半島上陸のためにタイ領内を平和裏に進駐するために、タイ首脳らとのギリギリの交渉が進んでいたとはまったく知らなかった。上陸時に日本軍とタイ軍、タイ警察と衝突と小競り合いを起こしていた。仏印の日本軍、ビルマ・マレーの英国軍の狭間で、完全中立と独立国の気概を見せたタイ国には感服。

最後の3分の1は、12日間のハワイ奇襲作戦部隊の極秘の移動。マレー上陸作戦も大量の兵員と物資の輸送船団が敵に見つからずに実行できるわけがない。大本営がヒヤヒヤする事態が頻発!

太平洋戦争がどうやって始まったのか?陸海軍が時間をかけて練り上げた作戦計画を、多くの人々が何も知らされないまま、一人一人が歯車のごとく職務を果たして実行された1週間に驚かされる本。広くオススメする。

吉村氏の「戦艦武蔵」と合わせて読むと、軍は作戦の目的地すら直前まで兵士と下士官、将校にすら何も教えてくれない組織だということがよくわかる。

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