米澤穂信という作家の本は昨年来何冊か読んでみたけど、それほどハマれたということもなかった。だが、この本は好きな人が多いらしいので読んでみた。2004年に東京創元社から刊行された「さよなら妖精」。
自分が手に入れたものは2006年創元推理文庫版の2013年第14刷。東北旅行中に福島の某古本屋チェーンでゲット。108円。
ざっくり説明すると、1991年に高校生たちが街でたまたまそこにいたユーゴスラビアからやってきた日本語を話す少女と出会う話。
異文化コミュニケーションと、少女が祖国に帰国した後の1992年が描かれている。
自分は何も予備知識がないまま読み始めた。すぐに弓道部の試合の細かい描写へと突入。自分は弓道という競技にまったく触れたことがなかったので、へえ、そういうもんかと学んだ。
あとは神社や墓地でのマーヤの日本文化についての質問、高校生たちの回答が続く。この本の大部分を占めている。
創元推理文庫なので多少は推理要素も期待したのだが、過去に読んだ米澤穂信作品と同じような調査と推測程度。
マーヤは一体ユーゴのどこからやって来て、どこへ帰って行ったのか?この本で唯一の謎解き。
1991年当時の高校生たちにはケータイもスマホもインターネットすらもない。自分で資料を集めて読んで考えるしかない。今から思うとそれはかなりハードルが高い。
作者は相当にユーゴスラビアとユーゴ内戦のことを調べたようだが、この異文化摩擦と相互理解のシーンに自分はリアルを感じられなかった。マーヤにはアニメ的な萌え要素を感じた。
ユーゴスラビアという国について日本の若者たちに知識を与えてくれた本であったのだが、正直それほどの満足感を与えてはくれなかった。きっと世界のどこかで実際にあったことかもしれないフィクション。
だが、最後の喪失感とバッサリ突然終わてしまったことには、ああぁぁっと崩れ落ちるような呆然とした感覚を味わう。ここで初めて感情移入できた。これはつらい体験だ。
自分もユーゴ内戦について以前かなり関心を持って調べたことがあった。
1984年ロサンゼルス・オリンピック、1990年のイタリアワールドカップでの活躍もあって、サッカーファンにとってはユーゴスラビアはよく知られた国であった。ちなみに、ストイコビッチの愛称は妖精。
1991年12月、サッカークラブの欧州チャンピオンとしてレッドスター・ベオグラードが東京にやってきてチリ・コロコロを破って世界一になっている。
1984年にはサラエヴォで冬季オリンピックが開かれているのだが、この本ではスポーツの世界でのユーゴの話題がまったく登場しない。
おそらく、日本人が初めてユーゴスラビアという国名に強い印象を抱いたのは、1980年に大平正芳首相が参列したチトー大統領の国葬における弔問外交ではなかったか?と自分は考えている。この本ではチトーの名前については触れられている。
信じられないかもしれないが、自分は遠い昔にヨーロッパをリュックサックひとつで約40日ほど一人旅をしたことがあったのだが、そのとき鉄道でスロベニアのリュブリャーナとクロアチアのザグレブに行っているw ヴェネツィアから近かったし両国は日本人はビザが必要なかったから。
リュブリャーナのホテルでは部屋の机の引き出しにパスポートを置き忘れたオーストラリア人に深夜にたたき起こされたことを覚えている。
ザグレブではユースホステルに泊まった。街にチトー元帥広場って場所があったことを覚えている。地元の12歳13歳ぐらいの子供たちが英語を話せて感心した。
クロアチアというと日本ではドゥブロヴニクが有名だけどバスで行くと遠すぎて断念した。ベオグラードもサラエヴォも西ヨーロッパから遠すぎた。
あと、昔サッカーが好きだったころ、ユーゴスラビア VS.パラグアイの試合(キリンカップ)を国立に見に行ったことがある。
この本を読んでそんな遠い昔にユーゴスラビアとちょっと関わったことを想い出した。
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