2011年3月31日木曜日

皇居から九段下までぶらぶらと

Img_0021 もうみんなは明日からそれぞれ違う職場へ配属される。違う仕事をする人や、仕事のアテがないひとが6人皇居の大手門に集まってぶらぶらと散歩をしてきた。

その中で数人はちょっと面倒な問題を抱えていたのだが、やはり友がいると心強い。まろやかに解決。

Img_0022 まだまだ桜は咲いていないのだが、ここぞという場所で写メをとる。

ベンチで持ち寄ったお菓子を食べながらぐだぐだ思いついた話をする。そんな昼下がりプライスレス。

また新たにツイッター仲間を増やした今日このごろ

Img_0023 九段のインド大使館そばの「ムンバイ」でランチ。890円のカレーセットにラッシーで6人席

このナンだと男でぎりぎりの量だった。

Img_0024 靖国参拝

どうかこの国をお守りください

靖国神社は2年に1回ぐらいは来ている。

Img_0025 ここ数日のストレスの種だった案件をカフェで解決。

海軍コーヒー 330円

15時過ぎにはもうすることがなくなって帰ることにした。とくに何かをしたわけじゃないけど、日々のストレスを発散する散歩だった。またこの仲間とはしばらく会えない。

2011年3月29日火曜日

Quick Japan Vol.75 を手に入れた

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今日は仕事上の面倒に巻き込まれて王子まで自転車で出かけてきた。結局、解決していない。自分の残された人生でいったいどれだけこんな無駄なことを繰り返していくのだろうか?しかし、暖かく天気がよかったので反対方向まで足を伸ばし、これを手に入れてきた。

Perfumeに関するすべては買っていられない、と放置していたクイック・ジャパンの銀杏が表紙のヤツ。特集「Perfume 今、誰をも感動させる存在」 のっち&水野先生 かしゆか&もっさん あ~ちゃん&研さん という非常にマニアックな対談。そして、2007年11月07日LIQUIDROOMでの「~SEVENTH HEAVEN イイ気分♪~」のライブレポートが軸になった1冊を300円でゲット。もちろんこのライブも行けていない。当時、Perfumeの人気爆発の時期で需要に供給がまったく追いつかない状態でライブチケットがプラチナ化。ワンマンライブ連戦連敗中だった。自分が初めてPerfumeを見れたのは年も暮れの12月28日の幕張CDJ0708だった・・。

それぞれの対談が重要なことを語っているが、ここではマネージャーもっさんの話が重要だ。ポリリズムを初めて聴いたとき、その過激さに驚いたが、テレビではしばらく間奏ありのロングバージョンはしばらく放送されなかった。アミューズと中田ヤスタカのぎりぎりの闘いがあったのだ。
もっさん「ポリリズム」の時もそうでした。NHK環境リサイクルキャンペーンソングというのもあって、何回も中田さんに直していただいたんです。だけど途中でリズムが複雑に重なる、まさにポリリズムのところを変えてほしいって言ったら、中田さんが「僕が行きます。行って説明します」ってアミューズまで来たんです。「今の若い世代はどんどん新しいものを取り入れるから、若い子の音を聴いてそれに合わせるのでは遅い。クリエイター側は、それよりさらに先のことを考えて作るくらいでないとダメだ」と言われましたね。 
でもぶっちゃけあのポリリズムのところはテレビでもラジオでもまず無理だって話をしたら、「大丈夫です。そこをカットしたラジオエディットバージョンを作ります。ただ一曲目はこれでいきたいです」って言うんです。そこは妥協してくれたのかもしれませんね。「でもこの間奏はちょっと長すぎませんか」って言ったら「それは間奏じゃないです。歌なんです」って言われて「そう来たか!」みたいな(笑)。それでもうみんな、信じましょうってことになりました。
PerfumeがPerfumeという美しい物語になれたのはもちろん3人の努力もあったのだが、第4のPerfumeといわれる有能なスタッフたちの努力と戦いがあったのだ。もっさんが語る中田ヤスタカのクリエイターとしての熱意とこだわりに感動した。天才だ。妥協するところは妥協して譲れない一線は守る姿勢がすごい。もっさんの「あそこはテレビラジオではつかえない」という現場の現実的な立場上の指摘も正しかった。Perfumeは多くの奇跡を積み重ねてきた存在。この中田さんを信じようという気持ちは翌年のさらに過激なGAMEへと繋がる。

2011年3月28日月曜日

カラヤンのEMIのシベリウス第4番

Karajan_emisibelius4 震災は東京の風景を変えてしまった。自分の心も変えてしまった。落ち着いて音楽を聴くどころではない。震災前に安いからという理由だけでこれを買ってきた。カラヤン&ベルリン・フィルによる1977,1978年EMIに録音したシベリウスの交響曲第4番と第5番。たまたま350円で見つけたので、ついレジへ。もうクラシックのCDを買うのは止めようと思った。自分はぜんぜんクラオタじゃないけど、60年代のDG録音の4番、5番を聴いていたので、70年代のものも聴いて見たくなってしまったのだ。結果、DG盤があればこれはいらなかったな・・・というのが感想。EMIの録音に自分はなじめない・・・。

だが、まてよと。4回目ぐらいに再生機を変えて見たところ、耳が慣れてきたらいい演奏に聞こえてきた。やはりカラヤン&ベルリン・フィルの音だ。ゴージャスで音がでかい。こんな音の鳴り方をした第4番は聴いたことがない。面白く聴けるようになってきた。第5番もすごい演奏。


2011年3月27日日曜日

新宿御苑で花見

Img_0017 職場のみんなと新宿御苑へ行ってきた。寒いという予報だったけど、快晴で風もなく暖かい1日だった。

このメンバーは3月で最後だけど、これからもこういった集まりはあるだろうからそれほど寂しくもない。

入り口からすぐのハクモクレンが満開だった。

Img_0021 でもやっぱり今年は開花が遅れていて、2分咲き以下

それでも空は青くて、ひなたでゴザしいてお菓子とかコーヒーとかをいただいていると、熱く感じるぐらいだ。

世間ではセシウム137とかヨウ素131とかいわれてるけど、じたばたしてもしょうがない。それはみんなも同じらしく、思い切って快晴の空のしたで寝転んだり、遊んだり・・。

Img_0022 しだれ桜もいい感じに咲いていた。

でも、まだまだこれからの枝ぶり

少ない桜にカメラを構えた人々が群がる

あ、東京も震災の影響がある。公園内の石灯籠がいくつも倒れていた。

Img_0023 公園内のカフェレストラン「ゆりのき」に初めて入って見たよ。

ハヤシライス580円にグラスワインをつけてみたよ。この味はこの値段ではなかなか出せない。おいしかった~。

まだまだ日も高かったけど、新宿三丁目でみんなと別れて早々に帰ってきた。紙飛行機を投げたりしてちょっと肩を痛めた・・。

2011年3月26日土曜日

CDでーた2007年4月号 YUIと近藤ひさし

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さて、YUI 24歳の生誕節だ。CAN'T BUY MY LOVEリリースから、ハタチになったYUIから4年経った。まさかYUIが24歳になるときがこようとは…。いや~、怖い。

昨日、池袋でこれを手に入れてきた。CDでーた2007年4月号を150円でゲット。これ買ってなかったんだ・・・。くだらない用事のために池袋まで来たけど、これに出会えてよかった。

とても重要なことを語っている読み応えのあるインタビューを収録。二十歳になって、それまでの自分を振り返る内容のロングインタビュー。インタビュアーは永堀アツオ。以下抜粋

今回、ニューアルバムー『CAN'T BUY MY LOVE』に、「Thank you My teens」という曲が収録されているじゃないですか。そこで、3月で20歳になるYUIさんの10代を振り返ってもらいたいなと思うんですが。
「10代はすごく大変でしたよ。感情がごちゃごちゃで、自分の中の2つの感情がつねにぶつかり合って、勝手に暴れるんで、やたら疲れるんですよ。音楽と出会う前は、目の前が真っ暗っていう状況でしたね」 
福岡のストリートで弾き語りを始めたのが15歳くらいのころですよね。
「とりあえず、歌うのが楽しかったですね。あとは、ビアンコネロのライブやインストアについて回って、物販やちらし配りのお手伝いをしたリ、前座で歌わせてもらったりしてて。それが16歳になったばかりのころかな」
その後、オーディションに合格して、すぐにデビューの準備に入りますよね。
「17歳でデビューして、1stアルバム『FROM ME TO YOU』までは、手探りというか、葛藤と試行錯誤と模索の1年でした。ずーっと、何がなんだかわからないっていう状態。曲をつくって、テレビやラジオや雑誌の取材を受けることを必死に覚えてた時代ですね」 
いちぱん印象深い出釆事はなんですか?
「夏の終わりに、レコーディングが終わって外に出ると、夜の空気が涼しかったりするじゃないですか。夏の夜の家への帰り道は懐かしく思いますね。でも、当時は難しいことばっかりで、何かしらずっと考えてる状態だったし、外に出るのも怖かったんですよね(笑)」
東京の街が怖かった?
「場所もぜんぜん知らないし、知り合いも少ないし、どれくらい危ないかも知らないし。気分転換もできないまま、スタジオと家の往復だけを繰り返してて。しかも、何を求められているのか、どんな状況なのか、何がなんだかわからないから、人に対して警戒心旺盛で。デビュー前後の私を知っている人には、『人間にいじめられてきた猫みたいだったぞ』って言われました(笑)」
夢が実現したっていう喜びはなかった?
「デビュー当時に『夢ってなんですか?』って聞かれたテレビ番組があって。私は、ちょっとピリピリした雰囲気で『夢って辞書で引いたことありますか?かなわないとわかっていて思うことが夢なんですよ』って言ってて。今、振り返ると、すごいとんがってるな、攻撃的だなって思うんですけど、やっぱり、夢ではなかったんですよね。夢というよりは、自分は音楽で生きていくしかないなって、現実的に考えてたんです。道がいっぱいあって悩むんじゃなくて、私には本当に音楽しかなかった。だからこそ、強い気持ちでやってこれたんだな、とも思いますね」 
自分が歌いたい歌を好きな時に歌ってた音楽との関係は、プロのシンガーになったことで変わりました?
「福岡では、歌うのが楽しかったし、寂しさを紛らわしてくれる存在だったんですよ。私自身が音楽に救われたって感じているので、音楽を知ってるっていうか、すごく身近に思ってたんです。でも、今、音楽と自分がどんどん重なっていくうちに、あのころとはまた違った音楽の感じ方もたくさんできるようになったし、もっともっと音楽を知ってきてるんだなって気はしますね」 
違う感じ方ってなんですかね?
「楽しませたいっていう楽しさが増えたってことですかね,最初のころは楽しませようっていう考えがなかったから混乱してたけど、楽しんでもらえる喜びに気づいて、歌うことがまた楽しくなったんです」 
音楽が人とのコミュニケーションツールにもなっていったってことですかね?
「すごく臆病だから、まだこれからって感じですね,まだまだだけど、開いて楽しみたいって思うんですよね」 
では、大きく影響を受けた出会いって誰ですか?
「一番はやっぱりディレクターですね。何度も道を外れそうになって、止まりそうになって、逃げそうになりながらも必ず引き止めてくれて、私もあえて間違ってみることもあるんですけど、それでもずっと、ただそこにいて、いろいろ教えてくれて。すごく尊敬してますね」
歌いたくないなって思ったことがあるんですか?
「ありますよ。デビューしてすぐのころは、歌う意味がわからないから、空っぽの状態で歌ってる時もあって。そんな状態で歌ってることは、聴いてくれてる人に失礼だし、音楽に対しても失礼だし、自分自身にもすごく嫌気が差して。当時はこんな失礼な感情では歌えないって思っていたけど、自分が歌ってきた時の気持ちを思い出したり、みんながどういう状況で聴きに来てくれてるかっていうことを考えるようになって、歌うことがどんどん楽しくなっていたんですよね」 
2年目の映画の経験はどうでした?
「すごく大きいと思いますね。映画は音楽とはまた全然違う世界だったし、自分ではない〝雨音薫〟の人生を生きるために、自分をもたずに透明な状態で入っていったんですよ。映画では、体を使って表現することを知ったんですけど、自分を全部ボロボロに崩した後に、立て直していったのが、すごく大変で。今となっては、私のままで入っていって、いろいろ見て感じて、自分の中に経験を入れてこうって思うんですけど、そんな余裕は全然なかったんですよね」
周りが見えてきたのはいつごろですか?どこでも自分のままでいられる状態になったっていう。
「最近ですね。とにかく好奇心旺盛になってて、もっといろいろ知りたいし、いろんなことを経験すべきだし。ほかのアーティストさんのライブも行けるなら毎日行きたいし(笑)。今、ようやく、もともとの性質が出てきたなって思いますね」 
一番の大きな変化ってなんですかね?
「音楽を山に例えると、いろんな登り方があるんだなって知ったことですね。以前の私は、頂上までの道を1本しか知らなくて、やたら厳しい道を登ってた。だけど、今は緩やかな別の道があることも知ったし、登りながら景色を見て楽しむことも覚えた。景色を見る余裕ができると、今までより、もっと素直に感じていけるようになるなって思うんですよね」 
では、逆にずっと変わってないものはなんですか?
「なんだろう・・・やっぱり、歌うことによってもやもやが解決するってことかな。もやもやが違う方向にぷつかるんじゃなくて、音楽によって解消されるのはよかったなって。それが人に向かうと、もっともやもやするだろうし、周りの大切な人を失うことになると思う。だからこそ、私は音楽が必要だったのかなって思いますね」 
音楽に対する気持ちは変わってない?
「音楽に救われたっていう気持ちは変わってないですね。私は本当に音楽がないと生きていけなかっただろうし、それは今も、いい意味でも悪い意味でも、変わってない。あとは、普段から音楽のことばかり考えてて、いろんな曲を知りたいし、つくりたいし、いつの間にか口ずさむのは、やっはリ楽しかったりするし。音楽か好きだっていうシンプルな気持ちは変わってないし、それだけは、これからもずっと変わらないなって思いますね」

YUIはディレクター(近藤ひさし)を尊敬してるって!この二人の師弟関係はYUI-RADIO聴いているだけだとわからないけど、今までもきっと、二人しか知らない感動的なエピソードがあるんだろうな。

上京後1年の「FROM ME TO YOU」にいたるまでの時期がYUIにとって、とてもツラいものであったことがうかがい知れる証言だ。ほとんどどこへも出かけていなかったらしい。

「音楽と出会う前は、目の前が真っ暗」っていう表現は前から気になる部分だ。How crazyの「深い海に沈んでゆく船から逃げてきたの」という表現はこういうところから生まれたのかもしれない。

『夢って辞書で引いたことありますか?かなわないとわかっていて思うことか夢なんですよ』はMONかなにかの番組だったと思うけど、あのときのYUIはとても青白く表情が固く疲れている感じだった。アーティストとはこういうものか!と衝撃を受けた映像だった。精神状態がギリギリだったんだねえ・・・。辛かったねえ・・。

本年度のYUIに関する雑誌の発掘記事はこれで最後。4月にまた再開予定。

2011年3月25日金曜日

CDで~たでPerfumeのポリリズム

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ついでに立ち寄ったブックオフの店内は通りすがれないほど野郎だらけ。そんな日常を忘れさせてくれるのはPerfumeの3人しかいない。この1ページにも満たない記事が欲しいために150円でCDで~た2007年9月号をゲット。この3人をみて癒されたわ~。のっちがものすごい美少女っぷりだ。

2011年3月24日木曜日

上野動物園とYUI

Syui_zoo 昼の東京だけ見ていると特に震災の影響は感じられないかもしれないが、夜になると以前の東京よりも明らかに「暗い!」 みんなが節電をしているから。これが心理的に暗い影響を残していくかもしれない。自分も以前のように都心までライブへ出かけようなんて思えなくなっている。心理的になにもかも我慢しようモードになっている。自粛ムード・・・。この春、全国から上京してくる若者が今の東京の夜を見ると驚くかもしれない。故郷を遠く離れた若者の心を暗くするかもしれない・・。


上野動物園にひさしぶりにパンダが帰ってくる!と上野周辺は今年に入ってけっこう盛り上がっていたようなのだが、本来だと22日からパンダが公開されるはずだったのだが、今回の震災の影響で無期限休止・・・。えぇ・・ こんなときこそ動物でも見て癒されたいのだが・・。

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YUIが初めてパンダを見た瞬間がロッキングオンHの2006年10月号「YUIのTAKE A WALK」最終回に写真として残されている。

自分はYUIよりも10年ぐらい前に初めてパンダを見たけど、やっぱり呆然としたよ。この写真のYUIもどこか呆然と見てしまう様子が伝わってくるね。 パンダはミラクル!

Syui_lion
まあ毎日、YUIに関して特に話題もないけど無理にでもYUIについて語り続けるよ。俺は。YUIは日本が世界に誇るべきスーパーな存在なんだから。常にどこかで話題になってないといけない。


さて、春になったら5年ぶりぐらいに上野動物園へ行きたい


2011年3月23日水曜日

YUIのONとOFFについての考えかた

Yui_pati2006sep_1 2週間ぐらい前にPATiPATi 2006年9月号を105円で手に入れた。PATiPATiの他にも紹介していかないといけない過去の雑誌はまだまだたくさんあるのだが、PATiPATiだけでも量が多すぎて、このペースだととても追いつかない。3月いっぱいでこのブログを一度整理しないといけないかもしれない。まだまだ手付かずのオリスタとかも情熱があるうちに始めたい。部屋の「あのへん」を掘ると出てくるというイメージはある。

さて、この号ではYUIが「スイッチがONやOFFになる瞬間」というめずらしいテーマで語っている 以下抜粋

仕事 スイッチが入るのは、メイクをして(スタイリストが用意した)洋服を着た瞬間。だから撮影なしのインタビューのみの日とかは、ちょっとどうしようっていうこともありますね。なんかこう、相手の目を見てしゃべれないというか、かといって意識してスイッチをオンにもできないほうなんで。実はしゃべりながら焦ってたりしてます、「これでいいのかな・・・・、大丈夫かな」って。で、仕事のスイッチがオフになるのは、家に着いたとき。

ライブ 何月何日にライブがあるって知った瞬間から、スイッチはオンになってる気がする。それで前日くらいから神経がピリピリし始めて。体調も完璧にしとかなきゃいけないし、歌詞やMCについて考えたり、来てくれる人の顔を思い浮かべたり、集中してオンになりますね。さすがに最近は、「大丈夫、大丈夫」って自分に言い聞かせてノホホンとしていられるようになりましたけど、最初のころはライブ直前とか大変なことになってて。あまりにピリピリしすぎて感電しそうでしたもん(笑)。そしてライブのときの最後のスイッチは、バンドのメンバーと一緒に「よし、行こー!」っていう感じで、ステージ裏でかけ声を出すときかな。それでピッとオンになるっていう。不安な気持ちから、「よし、行こう」っていう気持ちに変わるスイッチですね。

 涙のスイッチはいつでも入ります(笑)。特に最近、オバチャンになったせいか涙腺がヤバい(笑)。ホントに、おばあちゃんを見たり映画を観たりすると、すぐ涙が出てきちゃって。だから泣けると評判の映画は、観るのやめとこうかなって思うくらいで。そんなこと言って『タイヨウのうた』の大阪の試写会のとき、映画上映後にマイクなしで「Good-bye days」を歌ったんですけど、もう涙が止まんなくて。「ウェッ、ウェッ」ってカエルが鳴いてるくらいの勢いだったです(笑)。

怒り 仕事に関しては、結構ムキになりますね。イメージの中では、私はすごい寛大なおおらかな感じの人ですけど(笑)。でも実際は不安や焦りが押し寄せてくると、とても穏やかでいることはできなくて。ムキになったり、イジケたりしてしまうんですよ。簡単に言っちゃうと、許容範囲が狭いんでしょうけど。だから気持ち的には「ちょっと待ってください」って、両手で自分の心の枠を押し広げてる感じ。そういうとこは年齢とともに成長していけたらって思うんですけど。
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休日 普段から、「コレがしたい」「アレを買いたい」っていうのをノートにメモしてるんで、休みの日には、まずそれから処理をしていきますね。新宿、原宿、渋谷っていう感じで一気に回って、「よし!ギターの弦も買ったし、これで必要なものは全部そろった!」みたいな(笑)。それで半日使って、残りの半日は遊ぶっていうことが多いですね。遊ぶといってもライブを観に行くことがほとんどですけど。こないだも友だちのミュージシャンのライブに行って、「ちゃんと見えるとこ、見えるとこ」って観るポジション探してたら、いつの間にかいちばん前にいて。なんかもう、すごい授業参観な感じになってた(笑)。これじゃ、やるほうもやりにくいだろうと思って、後ろに行こうとしたんだけど、すでに動けなくなっていたという。案の定、ステージの上からは、すっごい見えてたらしいです(笑)。

さて、最後の「休日」というテーマの語りだが、この時期、YUIは今村舞が当時在籍していた「→School←」というバンドのライブにちょくちょく姿を見せていたことが目撃されていたころなので、おそらくそのことじゃないかと想像される。知人の知人情報で当時、リュック姿でライブハウスに普通にそのへんに居るYUIの目撃証言を得たりしていた。すっごくうらやましい。一度、リュック姿のままステージに上がって1曲歌ったという目撃証言があったが、他に見た人いないかな。あと、不機嫌なYUIに無茶な命令とかされたい・・。

2011年3月22日火曜日

Dream Fighter

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2週間ぐらい前にROCKIN'ON JAPAN 2009年1月号を105円で見つけてきた。「全国ツアー、武道館、紅白!結成から約8年、この1年ですべての夢を叶えてしまったPerfume。一躍時代の顔となった彼女たちは一体どこに向かうのか?」と題されたインタビュー。実は最近、以前は3人が口にしていたけど、まだ実現していない夢があることに気がついた。それはズバリ フジロック出演とグラミー賞だ。フジロックは毎年「そろそろあるんじゃね?」と思うものの実現していない。Perfumeはフジロックは似合わないのかなあ。グラミーは本気か冗談か判断しかねるが、レコ大以上に実現が難しそうだ。あと、この時期ののっちの太ももは「凶器」だと思った。

さて、この雑誌のインタビューで重要と思われる箇所を抜粋
あ~ちゃん「中田さんの曲をやらなくなる時は、Perfumeの終わる時だね。Perfumeも求められてない時だわ。Perfumeが中田さんの歌を歌わないってことは中田さんが求められてなくて、っていうことはPerfumeの今のこのスタイルが求められてないってことだから、何かをめっちゃ変えるかやめるかどっちかだね。・・・・・やめるかな(笑)」のっち 「あははは」かしゆか「やめるだろうねえ」

いきなり重たい発言だが、ここのところは危機管理をしっかりやってもらいたい。あと、後に大きな波紋を残したのっちの発言
あ~ちゃん「全部叶ったね」
のっち 「叶った。写真集も叶ったし」
あ~ちゃん「あははは!それ、あんただけだよ。昨年言ってたんですよ。『きれいなうち、10代のうちに撮ってもらおう』とか言って」
かしゆか「『あんただけ撮ってもらったらええじゃん』って言ってたんですよ」
のっち 「水着でもいいかなぐらいの勢いだったんですよ(笑)」
「Perfume Portfolio」の話が来たとき、のっちの頭には「水着写真集」の図が頭にあったことは確かなようだ。これは今となってはかなりおもしろいエピソードだが。もし、のっちの水着が実現していたら今の世界はまた違ったものになっていただろう。先日、計画停電から東京23区は外れているが電気が来ているうちは何をしようか?と考えた挙句に「東京ドーム」DVDを観て過ごしてしまった。Dream Fighterのとこで涙が止まらなくなった。今後の自分の人生にこんなにも楽しくって興奮することが残されてるかなあって考えて。

 ねぇ みんなが言う「未来」ってさ
 なん だかんだっで 実際はたぶん
  真っ暗じゃなく 光が差して
だけど 普通じゃ まだもの足りないの

2011年3月21日月曜日

Beep!! / Sunshine Sunshine

Superfly_beep
このCDも3月9日発売だった1枚。Superflyの12枚目のシングル「Beep!! / Sunshine Sunshine」 地震当日の11日にはミュージックステーションに生出演の予定だったので不運なめぐり合わせになってしまった。

地震から1週間たってようやく聴いて見る気分になれた。CDJからほとんどSuperflyを聴く余裕がなかったのでテレビ・ラジオからガンガン流れるのを聴く予定だったのにまったく予備知識なくCDを聴くことになった。やたらポジティブなアゲアゲワード満載70年代風ロック!ギターも気持ちいい!

初回特典のDVD Superfly & The Lemon Bats “Rock'N'Roll Muncher” はMusic on TV放送時に疑問だったことを解決できた内容。なるほど、この特典映像として出す予定だったのね。そして予想外のツアードキュメンタリー風な内容がうれしい。いま思い出してもこのZepp Tokyoでのライブはすばらしい思い出。よくチケット当たったよなあ・・。越智志帆の歌が毎度のことだけど鳥肌。ただ、あのパジャマのようなツナギはいったい…。
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そして、ROCKIN'ON JAPAN 4月号に越智志帆のインタビューが掲載。あわせて手に入れたい。曲作りをするようになっての変化とか、2010年のこととかを語っている。

PS. とりあえずFC先行抽選で7月9日の名古屋センチュリーホールと8月5日の東京国際フォーラム ホールAに参戦が決定している。今のところ、今年の音楽的イベントはこれだけしか決定していない。なのでとても楽しみ。

2011年3月20日日曜日

Oh! No! It's Heavy Polysick!!!

Heavypolysick
さて、地震のせいで長らく聴くことが出来ないでいたPOLYSICSのNew Album 「Oh! No! Heavy Polysick!!!」もようやく精神の回復を待って聴くことができた。今、音楽を聴く喜びを改めてかみしめている。3月9日の発売だったので、11日に自分の愛する他のアーティストの楽曲ももれなく地震に遭遇。幸いなことにまったく無傷だった。このジャケットを初めて見たとき、笑ったわ~。瞬時に3人を発見できる自分にも笑ったわ~。

昨年のRIJF2010で全世界が固唾を飲んで見守ったGlass Stageで突如流れた新SEの「Heavy POLYSICK」の音源がついに手に入った。そして、PVが楽しすぎる「Let's ダバダバ」は昨年末のCDJ1011で体験済みだったが、改めて聴いて見てもその破壊力は予想以上で、落ち込んだ精神を一発で吹き飛ばすバカバカしいまでの楽しさ!「ダバダバ」は魔法の言葉!どの曲聴いても強烈にギュンギュンピコピコいった破壊力バツグンなキラーチューンだらけ。もう「最近のポリシックスは・・」なんていわせない。古参ファンも聴くべき!世界のどこにもこんなバンドはやはりいないわけで・・。ポリが日本にいれば、世界のどの音楽シーンだってうらやましいと思わない。「サブリミナル CHA-CHA-CHA」はちょっとやりすぎだったか・・。聴いててばかばかしくて恥ずかしい。いつものライブでよくみるヤノへのつっこみじゃん。

初回特典のDVDは昨年のLIQUIDでのライブ。やはりオーディエンスの狂いっぷりが裏切らない!世界にこんな国ほかにねえだろ!このときはふっくんと観に行ったけど、楽しかったなあ。あの時は幸せだったなあ・・・。おっと、昔はよかった的なことばかり言うのはやめるんだった。DVDみながらついついカジャカジャグー!って拳を突き上げてしまったわ~。今回のAX公演を久しぶりに欠席してしまった。次の赤坂BLITZはなんとか行きたいが・・。先のことすぎてなんとも予定がたたない。
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そしてROCKIN'ON JAPAN 4月号を12日にブックオフで300円でひろってきた。これをあわせて読めばさらに理解が深まる。

2011年3月19日土曜日

薫と孝治 PATiPATi 2006 JULY

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ここのところ精神的にかなり低空飛行だったが、テレビでもWebでもニュースをまったく見ないで居たら改善した。ニュースばっかり見ていると被災してなくてもPTSDになってしまうそうだ。自分から海外のニュースサイトを追いかけて原発の記事とかも読んだりしていた。危なかった。ブログやってると突然見ず知らずの人から励まされたりする。見てもらっているのなら、地震の前に下書きだけ書いておいた記事も載せてしまおう。

YUIと塚本高史が映画「タイヨウのうた」収録から1年後、まさに公開直前に雑誌PATiPATi 2006年7月号で実現したYUI(19歳)と塚本(24歳)の対談。これは発売1年後に欲しくて神保町で手に入れたのだが、値札を見ると620円となっている。定価よりちょっと安いだけだった。でも、読み応えがあるので見つけたら手に入れたい。この二人は年齢差5歳だが、この身長差!二人並んで立つとよく理解できる。

YUIは今でも思うことだが、独特のリアクションをする。同世代の女子とはちょっと違う。これはYUIの生い立ちによるものだと想像できる。「自分はどの世代にも属していないと思った」という言葉が残されているが、塚本は撮影時に困惑したことが想像される。ふたりきりのときは困ったんじゃないのかな。昨年放送の「僕らの音楽」での対談は多くの手がかりを与えてくれた。あれだけ濃密な時期を過ごしたはずなのに、「おひさしぶりです」って、まったく連絡を取り合ってないの?「はっちゃけることとかあるのかな?」と塚本はYUIをなにもわかっちゃいない様子。しょうがないかなあ・・。まあ、対談自体は置いておいて、同じ号に収録されている「Good-bye days」リリース時の重要だと思われる発言を抜粋
今回、3曲目にはインディーズ時代の名曲「It's happy line」を収録、と。これはインディーズ盤に収められている音源を、そのままの形で再録してあるそうで。 
そうなんです。映画の挿入歌として使われることになったんで、じゃ、せっかくだからCDでも聴いてもらおう、ということになって。 
映画には、どういういきさつで使われることになったんですか? 
映画の中で、ストリートで弾き語りで歌うシーンがあるんですけど。実際の撮影に入る前に、どんな雰囲気にみえるかっていうリハーサルみたいなことをしたんですね。で、そのときに何気なくこの曲を歌ったら、そのままなんとなく本番もこれで、ってことになったという。 
ストリートで歌う=実際にストリートで歌ってた曲、みたいな気持ちの動きで、ふと歌ったんですかね。 
たぶんこの曲を作ったころって、今よりも雨音薫に近かったかもしれないから、そういうことも影響したのかなぁ。あと、そのころは福岡に住んでて、家で歌っていると近所迷惑になるから、海とか田んぼのアゼ道で、波の音を聞きながら、星を見上げながら歌ったんですね。そういうことも、雨音薫に近いような気がするから。薫の弾き語り=「It's happy~」と思ったんじゃないですかね。でもこの曲、逆に誇らしく聴けるようになりました。コーラスとかもすごいきれいな曲だなって、思ったりして(笑)。

YUIが映画で「It's happy line」を歌いだした瞬間がまさに、自分が稲妻に打たれた瞬間だった。以後、YUIを追い求めるようになったきっかけの曲。「feel my soul」も「Tomorrow's way」も聴いてはいたが、「It's happy line」と「Good-bye days」が決定的だった。ストリートシーンで歌われる曲が「It's happy line」に決まった理由が意外なもので驚いた。現場とはそういうものなのだろう。ちなみに、「あまね」と打っても「雨音」とは変換してくれない。「天音」になってしまう・・。困る。雨音薫・・・今回学習させた。

2011年3月17日木曜日

DVD HOTEL HOLIDAYS IN THE SUN

YUIの3年ぶりの武道館公演、11月2日のツアーファイナルのライブDVDを昨日ようやく観た。
精神的に見ようという気がまったく起こらないままだったが、「そろそろ見ないとな…」と思いつき、よろよろと起き上がり、途中強い揺れで3回も中断しながら本編再生→副音声再生と視聴完了。

ライブ映像作品に消極的だったYUIがまさかライブのすべてを収めたDVDを出してくれるとは予想外だった。もちろんいい意味で。Amazonだと2879円で安かった。9日には届いていたが、そのときとは世界がまるで違っている。

いつものように「自分映ってないかな」と探して見たけど、まあ武道館だから無理か。ただ、Shake My Heartのとき各地方の会場の様子が映ったとき「あ、自分だ!」とすぐにわかってしまう箇所があった。おもわず目を背けた。これからは、タオルを首に巻くのはフェスだけにしよう。いい歳した男がやってると、なんだかだらしなく見える。

あたりまえだけど、YUIはどんどん可愛くなってる。自分は今後ますます精神的に追い詰められるかもしれない。ジャケットの写真にコレが選ばれたのには何かメッセージがありそうだ。DVDを通して見てみて、自分は「to Mother」がクライマックスに感じた。このときのYUIがとても美しいと感じた。

「Never say die」「Tonight」で、ジャンプしたのが周囲で自分しかいなかったのが哀しかった。このDVDでも腕があがっているのが不十分に感じるし、まだまだ理想的には盛り上がってくれないな…。

こういう映像作品をみると、「ああ、昔はよかったなあ」と考えてしまう。今後のことを考えると不安だらけだ。またライブへいける日がくるかどうか。RIJF2011がちゃんと開催されるかどうかも不安だ。

また、新曲が出るらしい。

東京電力のせいで交通がマヒ、しかも福島の原発がものすごく精神を圧迫するため外出すらしたくない。早々に本年度の仕事が終了しそうだ。なにもできない気を紛らわせるために、思い切って過去のライブ映像も一気に見ることにした。
2007年は幸せだったなあ…しみじみ。でも、ひとつだけ思ったことがあったよ。「もうこの国を脱出したい!」って思ってたけど、自分にはYUIのいない国に住むなんていう選択肢は最初からなかったわ~ってこと。頑張るしかないか。

2011年3月16日水曜日

3月

もう、なにやっても楽しくないし・・・・


音楽聴く気分にもなれないし、DVDも見る気が起きないし、どこへも出かけたくない


なに食べてもおいしくないし


明日がまったく不透明だし・・・


せっかく生き延びてるけど、今後も生きてく自身がない・・・


いま自分が立っている地面がいつなくなるのかもわからないし


いまだにいつも揺れている感じが抜けない


この国が明日もあるのかどうか・・


この先仕事があるのかどうか・・・


国が国民の生命を財産を守ってくれると思い込んでいた・・・


最低だ


もう、布団かぶって寝るしかない




2011年3月10日木曜日

加治丘陵からムーミン谷

S18055033_1032715156_241large 今日も出かけました。10時40分ごろ池袋にT君と池袋に合流し、西武池袋線の仏子(ぶし)駅で降りてみた。いままでずっと気になっていた地名だが、降りたところで地名のいわれがわかるわけでもなく・・。この駅の南側に加治丘陵という緑あふれる丘がある。遠出する気力もないし、山に登る体力もないので今日はここを選んだ。音楽大学の脇の道を歩いて住宅地の裏山へ入っていく・・。


S18055033_1032715135_73large 「どんぐりの会」という場所へ出た。今日、ここが一番景色がよく暖かかった。ここで昼過ぎのランチを取った。せっかくキャプテンスタッグを持ってきたけど、T君持参のお湯だけでカップスープと菓子パンとコーヒーでまったり・・。向こうに見えるのが飯能市。


S18055033_1032715110_93large 今日はずっとこんな舗装された尾根道がずっと続いた。登ったり降りたり・・ 登りはじめでおじさんにすれ違ったきり、誰にも出会わず・・・。そりゃそうか、平日にこんな場所へ男二人でやってくるなんてそうとうな物好き。


今日は風も強くそうとう冷え込んでいる。手を外に出していられないぐらいに寒い!


でもまあ、部屋でじっとしていても気分が落ち込むだけだから、こういう自然に触れ合いながらの散歩道も格別


S18055033_1032715106_116large 今日の最終到達地点がこの展望台


まさかこんなものが山の中にあろうとは二人とも予想していなかった。コレを登るのが今日一番キツかった。ここは近所の人たちが散歩に来ているらしく、数人と出会った。


さすがに展望台からは秩父の山々と関東平野が一望できた。遠く新宿の高層ビル群とスカイツリー。狭山の茶畑と西武ドーム。赤城の山・・・。でも、富士山は雲に隠れて見えず・・。


S18055033_1032715086_230large 地元の人たちがこの山を愛し、整備をしているために、いろいろと道が出来ていて、迷いながらも帰り道に至る。


この急な階段を下るとそこは・・・。


S18055033_1032715082_127large ムーミンの本を集めた場所があった。


すごくいい雰囲気で、ここで1日コーヒー飲みながら本読んだらいいだろうなと思ったが、もちろん飲食はできない場所。寒いせいなのか我々以外に人と出会わない。


S18055033_1032714958_84large そしてこれ!今日1日で最大のインパクト!こんなものがあったとは!ムーミンの家だ。すげえ!すげえ!普通ならこれお金払わないと見せてくれないレベル。それがタダ!

S18055033_1032714954_2large 中が本当にもう、何から何まで手が込んでいて楽しくて、1日中ずっと居たいぐらいな場所。ああ、この家に住みたい!ここでカフェやってくれれば毎日来たいと思った。


それなのに、人がほとんど来なくていい!1日この家でごろごろしながら本を読んで過ごしたい。ただ、今日はやっぱり底冷えする寒さだったが。


S18055033_1032714931_131large 子供に返ったようにあちこちを探検しまくる男二人・・。


コレを今作るといくらかかるだろうか


すばらしい!収納の場所もすごくいっぱいあるし、小さな小部屋もたくさんあるし


小さな階段もあるし、時間をわすれて楽しんだ。


S18055033_1032714905_243large ああ、どうしてこれだけのものを無料で公開できるんだろう


飯能市 万歳!


しかも、係員らしいひともまったくいない


完全に自由に放置してくれている





S18055033_1032714879_5large 東京にこんなものがあれば、毎日くるこきたないオヤジとかに占拠されそう。


ああ、本当に本を持って毎日ここで過ごしたい


S18055033_1032714870_211large 地下には、どう考えてもカフェに最適な場所があった。こっちにレジを置いて、こっちに厨房で、ここが入り口でと想像が膨らむ。


こっちでギター弾き語りのステージがあるといいなとか考えた。


でも、そういうものが一切ないところにしびれた。本当に見に来た人はほうっておかれる。いい意味で。大満足の場所を見つけて高揚した感じで返りについたのだが、お土産で買ったムーミンクッキー(210円×2箱)を途中でどこかに置き忘れてきた・・・orz  今までそんなことしたことないのに・・。というオチがついた休日だった。

2011年3月9日水曜日

キース・ジャレット ブレゲンツ・コンサート

Keithjarrett
自分の周囲にはクラシックを聴く人はまったくいないが、ジャズを聴く人もまったくいない!

自分もまったく聴かないが。学生時代、「大人なんだからジャズでも聴いてみるか」的な気分でついついジャズにも手を出してみるが、結局ハマることもなく・・・唯一すばらしいと思ったのがキース・ジャレットのソロ・コンサートのシリーズ。

当時、このピアニストはすごいらしいという声が、ジャズに興味がなくても伝わってきた。
「ケルン」「パリ」は自分にとって重要な1枚になっている。で、最近このCDの存在を知った。

1981年5月28日、ブレゲンツでのコンサートのCD。ああ、美しい。自分にとって新たな名盤が加わった。「ケルン」「パリ」は「神!」だが、これはそれらに次ぐもの。「ウィーン」と同等。自分はキース・ジャレットをジャズとして聴いていない。美しいコンテンポラリー。感動がそこにある!

2011年3月8日火曜日

WHAT'S IN? 2010年5月号 Perfume

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WHAT'S INって売ってるとこ見たことない。コンビニにしか行かないから目に付かないので買い逃していた。2010年5月号でPerfumeを発見したので105円で手に入れてきた。「不自然なガール/ナチュラルに恋して」リリース時のインタビュー。
みなさんはどんなとき、〝不自然なガール〟になりますか? 
のっち 「恋をすると不自然になりますね。中学時代、好きな人が週に1回ダンスをしに行く場所があったんです。連絡ももらってないのに、そこに勝手に会いに行ったりしてました。」 
あ~ちゃん 「コワいわ~(笑)。」 
かしゆか 「私は、自分が先頭を切ってしゃべんなきゃいけないときに、呼吸の仕方を忘れちゃいますね(笑)。あ~ちゃんはそういうときでも、ちゃんと途中で息を吸えてるでしょ?」  
あ~ちゃん「そりゃ吸うわ~(笑)。」 
あ~ちゃん「私も本番前は緊張してくると、手にめっちゃ汗かくし、楽屋でずーっとマスカラやってたりします(笑)。でも、勝負ごとは嫌いじゃない。ファースト・インパクトは絶対残すっていう、インディーズ時代からのガチな根性はいまだにありますからね。追いつめられると強いかも(笑)。ただ、緊張するとヘンな言い間違いは多くなりますね。アリーナがアルマーニになっちゃったり(笑)。そこはかなり不自然だけど、やっぱりわかってくれるふたりがいるからやっていけるんだなと思います。」
この3人のインタビューはおもしろいし、ためになるわ~。
P.T.A.からDVD VOL.3が届いた。動画コンテンツの総集編と未公開のドームの映像。不覚にも泣いてしまった。みんなで神棚に祈るシーンがおもしろかったがジーンとくるシーンでもあった。「ラクーアから東京ドームへ」 こんなにも美しいサクセスストーリーを他に知らない。3人ともいつもキャッキャと笑っている。小学生のときからずっと一緒で、すっかり大人でもみんな仲良し。素晴らしいねえ。

2011年3月7日月曜日

YUI 「LIFE」リリース PATiPATi2005年11月号

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先日、千駄木から北千住~綾瀬をあてもなくさ迷い歩いたときに某環七沿いのブックオフで105円でコレを見つけた。PATiPATi 2005年11月号 これは初めて見た。

そんなYUIの重い言葉であふれたインタビューを今読み返すのはメンタル的にきついことかもしれないが、もっともっと辛い苦しい思いをしてきたYUIの言葉はまるで成功を収めた経営者のもののようだ。

「生きていくことは大変だ。それも、より自分らしく、よりよく生きていこうと思ったら、絶対にひと筋縄じやいかない、だから生きてゆける―と、YUIは歌う。
たやすく手に入らないから、思うとおりにならないから、生きてゆけるのだと。そう毅然と歌った「LIFE」という曲が、夏フェスでも注目されたYUIの3作目のシングルとして、11月9日にリリースされる。」で始まる前原雅子によるインタビュー。「LIFE」誕生物語

-この「LIFE」は最近作った曲なんですか。
東京に来たばかりのころだから、1年くらい前に作った曲ですね。「feel my soul」が上京直前に福岡で作った曲で、こっちは上京後っていう。そのころ、ワーッと曲を作ってたんですけど、その中のひとつで。とにかくもう当時は、曲を仕上げるスピードがすごい速くなってて。曲を作るのも、キャンペーンにしても、ブワーッとすべてが一気に動き始めたころだったんですよね。

-曲作りでいえば、それだけ集中して作ってたんでしょうね。
そうだと思います。レコード会社の地下にあるレッスン・ルームにこもって、とりあえずメロディーを書いてみようと思って、いろいろ作ってたんですけど。で、「LIFE」はコードを先に決めて、そこにメロディーを乗せていった曲ですね。途中で転調してるし、コードも変だなって思ったんですけど。そこがこの曲のよさになってるんで、あれこれ探しつつメロディーを乗っけて。

-それでちょっと面白いコード感の曲になってるんですね。
たいてい曲を作るときは、ギターでコードを探しながらやるんで。でもこの曲を作ったときはAメロ、Bメロ、サビみたいにカッチリと構成を考えていって。

-ということは、曲作りにもだいぶ慣れてきたころの曲だったりします?
いや、いっぱい曲を作ってたんで、そのぶんいろんな曲の作り方をしてて。曲の雰囲気を出すためにコードを選び抜いてみたり、構成に凝ってみたりしてたんです。でも私は、コードだけ聴いたら、絶対にメロディーは乗らないんじやないかっていうコードにメロディーを乗せるのが好きで。この曲も、それのひとつなんですけど、うまくメロディーが乗ったときってすごく達成感があるんですよね。

-でもそのころって新しく会う人もいっぱいいたでしょうし、実際問題、落ち着いて曲を書くモードになりにくかったりしませんでした?
正直、そういう時期もありましたけど、とりあえず人の意見は一度自分の中に入れようと思ってましたね。でも取り入れすぎてフリーズしたりして(笑)。ただ、なんでも柔軟に取り入れたかったんです。そのほうが、いろんなことを知る近道だろうなって。だから意見は取り入れて、手探りで考えながら曲作りをして、ライブをして、いろんな人と出会ってという感じでしたね。

-それがすべて同時期に、でしょう?
そうですね。もう物事が全方向にある感じでした。いくつ体があっても足りないっていう(笑)。でもそれを大変と思う気持ちの余裕すらなかったんで。むしろ逆にもっと知りたい、と思う気持ちのほうが強かったみたいで。

-すごい実践的な勉強ですね。
本当にそうなんですよ。詞にも書いてますけど〝過ぎてきた日々全部で今のあたしなんだよ〟っていうのも、そういう時期があったからですし。


-すると詞は、当時思ったことを率直に書いていったんですか。
そうだと思います。ゲームとかにしても、あまりに簡単だとヤル気にならないじゃないですか。難しいから熱中してしまうっていう。生きていくことも、きっとそういうとこがあるんだろうなって。なんか、そこが人間らしい感じもしたんですよね。結局は上を見てるというか、何かに向かっていきたくなるというか。そう思うから〝Change my life〟って思うんでしょうし。


-そのころ、まさに人生を変えてる真っ最中だった、という。
いろんな方にチャンスをいただいて。もし、そういうチャンスがなかったら、変われなかったなって思いますしね。でもすごい変わり方に、知恵熱が出そうでしたけど(笑)。

-しかしこうして3枚目のシングルを聴いて思ったんですけど、また少し声が変わってきてません?
そうですか?

-なんかこう、声が強くなったような。
たぶん曲調のせいで、声の張り方が違うのかもしれないですね。あと、「LIFE」はライブでも何回も歌ってるんで、もう結構歌い方の癖がついてきてるとこもあるし。でも明らかに「feel~」や「Tomorrow's way」とは歌い方が違いますよね。

-また、この曲を今歌うと、いろいろ思い出すこともあるんでしょうね。
とにかく曲を作ったころは、すべてに対していっぱいいっぱいだったんで。迷ったり悩んだりすることも多かったし。だから、そういう気持ちを書いた曲を今の私が歌うことで、聴いてくれた人の中で何かを突き動かすもとになったら、すごいうれしいですよね。私自身、この曲によって救われた部分があるので。

-それはどういうことだったんですか。
こういうこともあったな、みたいな気持ちというか。どんなに迷っていても、いずれはそこから抜け出せるっていう。そういった考え方に救われた気がしますね。なんか今思うと、あんなに駆け足でやらなくても、もっとマイペースでよかった気がするんですけど。でも、それも今だから言えることかもしれないし。駆け足で進んだから、今の私があるとも言えるし。

-そしてまた今度、学園祭ライブという新しいことにチャレンジするわけですが。これの抱負などはありますか。
大丈夫かなぁって思ったりしてますけど(笑)。夏フェスともまた違う感じなんでしょうし、どんな風かなって楽しみにしてるところで。まぁ私としてはいつもどおりマイペースで、楽しんでやれればいいと思っていて。さらに言うなら、いろんな人にとって意味のあるライブになればなって思いますね。でも考え出すと、私は堅苦しくなりがちなので、リラックスしてやりたいしと思ってます(笑)。



「LIFE」は17歳につくれるような曲じゃない。まったく、天才としか、すごいとしか・・。それに、もうすでに彼女にはすばらしいキャリアがある。ザ・プロフェッショナルだ。自分には一体何ができるんだろう・・・アタシ まだもがいてる・・・これからもずっとのような気がする。

2011年3月6日日曜日

スピッツ 三日月ロック

昨年夏に初めてスピッツを見て以来の、なんで今?なスピッツマイブームはまだ続いている。ここ1ヶ月ほどコレをよく聴いている。「三日月ロック」 だ。

1曲目の「夜を駆ける 」が流れると自分は一瞬でこの音楽にすべてを持っていかれる。「疾走する悲しみ」とでも言えばいいのか。なにかとてつもなく美しいしせつない曲だ。

「ババロア」の4つ打ちエレクトロニカな感じも好きだ。「ローテク・ロマンティカ」とか「ハネモノ」とか「けもの道」とか、意外で強い印象を残す。「けもの道」は今現在の自分には心に染みる曲だ。「ガーベラ」も涙がじわっと出てきてしまう曲。

スピッツはロッキンには偶数年しか出演しないらしい。となると今年は見れないのか。夏フェスでみたいんだけどな。

2011年3月5日土曜日

雨音薫にあいたいよう

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で、小出の衝撃的な対談の載っているROCKIN'ON JAPAN 2007年10月号をぱらぱらとめくっているとSCENEのページに「YUI、覚悟のバラード発表。そして武道館決定!」という小松香里の一文が載っていた。

この時期、YUIはLOVE&TRUTHを発表、そして1夜限りの初の武道館公演の発表・・・。「曲の終盤、暗闇の中から光を掴むべく、何かを悟ったように歌われる《翼をくださいと 信じてうたうように アタシだって誓うよ 過去も全部 受け入れるって 決めた》というフレーズ。

YUI曰く、愛する人とこれからの時間を過ごすということは、その人の過去も全部受け入れることだと思うから、《過去も全部 受け入れるって 決めた》という部分に強い想いを込めたという。16歳のときに、音楽の道で生きていくと決めたYUI自身に息づく、何よりも大きな決意と重なる、とても強いフレーズだ。」

自分の過去10年間で、この2007年は本当に一番刺激的で楽しかったと今になって思う。Rolling star→CHE.R.RY→CAN'T BUY MY LOVE→ツアー→夏フェス→LOVE&TRUTH→武道館という、もうこの先10年 この年のような新鮮なワクワク感、ドキドキ感、いてもたってもいられない焦りと、衝動とを感じられることがあるかどうか・・・と思わずにいられない。自分に残された人生に、この年のような輝くようななにかに出会えることがあるかどうか・・・ 不安だ。
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というわけで、今後の人生と仕事についていろいろと相談したいということで、せっかくのいい天気だが、T君と山へ行くのをキャンセルし、大手企業に勤める立派な経歴をもつFにお願いして男二人ドライブへ出かけることにした。自分の考えが正しいかどうかとか、適切なアドバイスを求めて・・・。赤坂の迎賓館の前で12時に車で拾ってもらい、246でとりあえず海を目指す。
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自分の思っていることを車で移動中にばーっとしゃべり、途中から、前夜iPodに仕込んだYUIラジオ48をかけていると、逗子へ行く道と江ノ島へ行く道の分岐前で「es.car」が流れた。これは江ノ島へ行けという啓示だと思い、江ノ島へ向かう。
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七里ガ浜の駐車場に車をとめて、2年ぶり3回目の「タイヨウのうた」巡礼。 雨音薫に会えば、晴れない心持をなんとか少しでも改善できるのではと思ったのだ。石段に腰掛けていると、我々以外にも巡礼者のグループが2組ばかりやってきた。2組ともカップルだったけど(笑)。まだまだ、「タイヨウのうた」を見た若者たちをこの場所は引き付けてやまない。
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アタシの声は聞こえてるよね?
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ああ、聞こえてるよ
この階段の上の物件、売りに出されないのかな・・?
そしたら、日本全国からやってくるYUIファンのためにカフェを開きたいんだけどな。
「好きなバナナはブラックモンブラン」とかデザートの名前も考えたのだが・・・
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今回は時間に余裕があったので、初めて雨音薫の実家を見に行くことにした
七里ガ浜の駅の前を通り、途中で線路をわたり、階段を登る
なんだかすごく雰囲気のいい住宅地だ
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はいっ。これ。横浜でのストリートのあと、海岸の階段で将来の夢を語り合った後、夜明けが迫り、玄関へ駆け込むシーンで使われた住宅

ここだけは過去来たことがなかった。今回思い残すことはないようにと来てみた。
迷惑にならないように5秒でそそくさと退散
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海が見える高台の住宅地。ああ、こんな場所に住みたい…
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七里ガ浜から砂浜を歩いて江ノ島を目指す。途中、江ノ電もなかの店で和菓子をお土産に買い求める。浜で腰掛けて食べているとFがとんびに襲われそうになる。
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江ノ島は3回目ぐらいだけど、今回初めてエスカーに乗ってみたいままで、誰がそんなもん乗るかって思ってたんだけど。
完全にHOLIDAYS IN THE SUN の影響。
予想してたけど、で?っていう…
人はあまりいなかった。エスカーダンスをちょっとだけ踊った・・・
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その先にはヒカンザクラ。
今日は暖かい。多くの人でにぎわう江ノ島
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空気も乾燥してくっきり。ああ、仕事の問題さえクリアできれば、ここに住みたい!
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灯台の入場料200円を払わないと来られないカフェ。これからの趣味にカフェめぐりを加えようと考え中。もうひとつのカフェは最近雑誌テレビで取りあがられて行列のできる大繁盛。こちらは猫もいるきどらないカフェ
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コーヒーとカレーで1200円ちょっと使った。友人とメニューと価格や内装や鉢植え、音楽、POPなどくまなくチェックして議論。今までカフェでこんなことをしたことはない。
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江ノ島の灯台は登るのにお金がいるので、いらない場所までで
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ここは昔、ある外国人が庭園をつくった場所なので、時期によっては花が咲き乱れる場所。でもまあ、今はツバキだけかな
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岩戸に着くと、もう夕暮れ時


波のかなたに富士山


寒い
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ここのカフェもいい感じなのでいつか入りたい
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帰り道、ちょっとだけ並んでたこせん。なんだか、フクザツな気分になる食べ物だ
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2011年3月5日現在の七里ガ浜のバス停。映画の面影があまり残っていない。
ここへきても雨音薫にはもう会えないんだな…。
雨音薫は僕らの心の中にいる!
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その後、茅ヶ崎のえぼし本店へ5年ぶり?ぐらいに行って見た。ここは衝撃的にメニュー数が多く 何を注文しても奇跡的においしい。おなかいっぱいで大満足。そんな休日をすごしたのだった。

帰りの車もいろいろなことをFと話した。問題が根本的に解消されることはないが、何でも思いをぶちまけて話ができる旧友はありがたい存在だ。